満があつた。貧しい家族に一銭の仕送りも考へてくれないやうな男には何の思ひもなかつた、いまでは、遠い昔の、ナムアミダブツ、ナムアミダブツと祈つて身を任せた、あの逞ましい老人に何とも云へないなつかしささへ感じてゐる。長い間、子沢山の貧しい一家にそだてられて来た里子にとつては、家の為に犠牲になつてゐると云ふ思ひは一度も持つてみた事がない。たゞ、家へ金を送りたいのだ。あまり多くの男を知つたため、里子は男の世話になる事は、自分の体を代償にする事だと考へてゐた。荷馬車曳きの父は仕事も出来ない程老いてゐたし、弟妹達はみなそれぞれ巣立つてはゐたが、里子の送つて来る仕送りを当てにして、親達に対しては何一つ報いてやる気もないものばかりにそだつてしまつた。弟なぞは、時々上京して、里子に小遣さへ貰ひに来る。里子は金放れのいいところを見せるのが気持ちがよかつた。小言を云ひながら金をやるのだ。家へ送るのも、小言やぐちを並べて金を送つた。その金には、何の執着もなかつた。
 直吉は厠へ立つて行つた。里子が逃げるかも知れないと思つたが、それもいゝだらうと、階下に便所を探して戻つて来ると、里子は火鉢に手をかざしたまゝ困つ
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