出して行きたかつたのだ。二人が残されるとなると、差づめ困るのは父かも判らない。継母は物乞ひしても何とかして生きてゆけるだらうと思へた。犬猫の小便臭い匂ひが小舎のなかにこもつてゐる。継母は時々体の掻ゆさにぶるぶると身震ひしてゐる。昔は継母の若さが気に食はなかつたが、いまでは、汚れて泥々になつてゐる継母の寝姿が、神々しくも感じられた。継母に向つて、あの時感じた一瞬の悪魔的な気持ちが、あゝ何でもなくてよかつたと、直吉は苦笑してゐる。
「仲々死ぬやうな顔ぢやないね」
 冗談めかしく云つて、直吉は、生きるだけ生きて、この落下してゆく社会とともに、継母は継母の未来を持つた方がいゝと投げやりな事も考へる。

 直吉は、二本目のビールをコツプについで、様々な事を考へた。里子は、電話を掛けに行きたいらしく、そはそはしてゐる。直吉は今夜こそ、里子に向つて恨みを晴らしたい気がしてゐた。賠償を取りたててさつぱりと、籍を戻してしまふ気だつた。今日見た河底の広告マンの姿が瞼に焼きついて離れなかつた。橋の上から、弥次馬が大勢のぞきこんでゐたが、結局は自分達も、生きながらの河流れの広告マンと少しも変つてゐない気がした
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