した。ぼろぼろにほつれた毛糸の上張りの前がはだけて、玉葱のやうに光つた膝小僧が出てゐた。直吉は寝転んでゐたが、頭をその方へ寄せて、膝小僧の間から暗い洞窟を覗いた。長い間摸索してゐた一つの命題がそこにあるやうに、ぢいつと暗い一点を覗きこんでゐた。息苦しかつた。誰も出掛けたあとの部屋は、環境が広々として居心地のいゝ場所だが、ふつと、継母の体から淫蕩な倦きる事のない連想が湧いた。一種の背徳が、戦争の時のやうな響音で、直吉の耳底にすさまじく鳴り響いた。畳に寝転び、直吉は無心な狂女の膝小僧を静かにさすりながら、自分でも無気味であらうと思へる眼で、暗い洞窟をぢいつと覗き込んでゐた。継母ははにかみ笑ひをしながら、直吉のなすままに任せて、
「逃げるだけは逃げておくれよ。私はあの火の粉を見る事だけはまつぴらなンだから、とても大変な死人が、ポンプも何も間にあはないンだからね‥‥。何処へも行けやしないし馬穴持つて逃げたら、お父さんつてばね、あの時になつて、私を橋の上から突きおとしたンですからね」
継母はばらばらと涙をこぼして、忍び泣きをしてゐる。醜い泣面だつたが、誠実なしみじみした美しさがたゞよつてゐた。
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