なつてゐた。その日も、浮舟楼の前の、クロフネ第三楼の息子が出征だとかで、ぎらぎらした絹地の祝出征ののぼりが軍艦型に装飾した家の前へ林立してゐたし、花輪型の円い藁を芯に、沢山の日の丸の小旗が、強い十二月の風に激しくはためいてゐた。――浮舟楼でも、妓達の肉親から、出征者を出すものがあると、得意になつて、妓達は、登楼の客にふいちやうした。直吉は、冨勇を買つた。その日は宵から雨になつた。直吉は、冨勇の部屋で、しみじみと雨の音を聞きながら、初めて女を知つたあとのヒロイツクな感情にとらはれてゐた。神が雄弁に人類の秘密を教へてくれたやうな気もした。――無理な金の工面をして、直吉はその日以来、度々浮舟楼へ冨勇を買ひに通よつたが、遊廓の景気のいゝ絶頂とみえて、冨勇は仲々の売れツ妓になつてゐた。写真の飾られる場所も、段々お職に近いところへせり上つてゆき、冨勇は浮舟楼でも羽ぶりがよかつた。直吉は、時々、冨子に頼まれて、千葉の里子や両親に、為替を送る手紙の代筆を頼まれたりした。
榎本印刷へ這入つて半年ばかりしてゐるうちに、直吉は召集を受けて、宇都宮の、戸祭分院の衛生兵になつて、二年ばかりの兵隊生活を送つた。
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