直吉は冨子や、千葉の、里子に感傷的な手紙を送つてゐたが、里子の筆で、冨子の死を知らせて来た。急性肺炎で亡くなつたさうである。
昭和十五年の春、直吉は除隊になり、その頃淀橋区役所のそばで、代書屋をしてゐた父のもとへ直吉は戻つて行つた。弟の隆吉は、少年航空兵に志願して霞ヶ浦に行つてゐて、父と継母だけが残つてゐた。代書の仕事は仲々繁昌してゐて、二階は、登記を頼みに来る客の待合所になり、継母は、この客達に、茶や菓子や丼物の世話をして、幾分かのさや取りをして、馬鹿にならぬ収入をあげてゐた。
戦争は直吉に色々な影響を与へた。二年ばかりの兵隊生活で、反駁の余地のない下積みのところで要領よくなまける術も直吉は覚えされられた。直吉は、父の仕事を手伝ふのは厭だつたので、知人の世話で、三鷹の飛行機工場の庶務課へ勤めを持つた。新宿の浮舟楼にも、冨勇の思ひ出をしのんでは時々登楼した。里子との文通も久しく途絶え、忘れるともなく忘れてしまひ、軈て日米戦争が始まり、直吉も三鷹の寮に這入つたりして、二年ばかり、あわたゞしい生活を送つたが、或日、久しぶりに淀橋の父のもとへ帰へつてみると、思ひがけなく、冨子の妹の里子か
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