ね、君なら芸者になれるだらうが、そりやア、仲々だね。大変な事だぜ‥‥。下手をするとだまされつちまふよ。そんな世界は、色々な圧力があつて、身動きも出来なくなるンだ」
里子は、一人の男が、大人あつかひに話をしてくれるのが嬉しかつた。――その翌朝、直吉は里子と約束したとほりに、上野まで里子を送つて行つてやつた。冨子も、かへつてそれを喜んでくれてゐたので、直吉は里子も連れて、上野へ行き、秋の広小路の賑やかなところや、松坂屋などをぶらぶら歩いて、汽車に乗せてやつた。それ以来数年を、直吉は里子に逢ふ事もなく過ぎたのだ。――冨子は間もなく、新宿の遊廓に身を沈めて、冨勇と名乗つて女郎に出てしまつた。直吉はその頃、大学をやめて、牛込の榎本印刷の営業部の事務の方へ勤めを持つてゐたが、或日、波江に逢つて、冨子の落ちつき先きを知ると、直吉は友人を誘つて、初めて新宿遊廓に遊びに行つた。波江に聞いた浮舟楼を探して、入口の写真のなかから冨勇の姿を見つけ出した時は、沈むところへ沈んだものだと直吉は思つた。
戦争は少しづつ喘息病みのやうなしつこさと変り、街を歩いてみても、カーキ色が多くなり軍人や兵隊が多く歩くやうに
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