に、昔、下宿を兼ねて旅館をしてゐた家があると教へてくれた。焼け残りの一郭とみえて、かなり古い家並みが続いてゐる。路地口に染物の看板の出てゐる家があつたので、直吉は店先きで自転車の手入れをしてゐた男に、煙草屋で教はつた旅館の所在を聞いた。男は気軽るに、路地の前まで行つて、この横丁を出はづれた右側に、青いペンキ塗りの家があると教へてくれた。路地のなかはひつそりとしてゐた。凸凹の切石を敷き詰めた道を暫く行くと、広い道へ出はづれる右側に、二階建ての四角なペンキ塗りの家があつた。新しく看板を塗り変へたとみえて、葵ホテルと書いた白い看板がさがつてゐた。二枚の硝子戸にも、金文字で葵ホテルの文字が出てゐる。直吉は硝子戸を開けた。
赤いジヤケツを着て、花模様の短いスカートをはいた小柄な太つた娘が出て来たが、直吉が部屋がありますかと尋づねると、直吉の後に立つてゐる里子を娘は透かして見ながら、「はい、一寸お待ち下さい」と云つて、ぺたぺたと素足で廊下の奥へ引つ込んで行つた。入口の部屋には、障子が閉つて人の話し声がしてゐる。広い板敷の廊下には、玄関へ背を向けた梯子段の下には、荷箱や、卓子や椅子が積み重つてゐた
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