がら歩いた。
 灰色の女学校がある、石塀の中からは、たそがれ色の往来へ若葉が吹きこぼれて、サワサワと葉ずれの音をたてゝゐる。首に赤ハンカチを巻いたアパッシュの群が、気まぐれに寒子に眄をくれながら「|今晩は《ボンソアール》|お嬢さん《マドモアゼル》」と呼びかけて通つて行く。
 まるで、絵の具の滓ばかり食つて生きてゐるやうな寒子には、耳から来るパリのたそがれの風景はたまらなくせいせいと快適なものであつた。
 南画風なラブラードは、このパリのたそがれの音を、画面の中に出せたのであらうか、モジリアニの女の腰部は、パリのたそがれをよく知つてゐるのではないだらうか、――この白暮の聴覚を意識した絵が描けたら、どんなに楽しく涼しい気持であらう。何かしら、長い夕暮といふものは、物思ひさせるにふさはしい不思議な時間である。

 プラス・サン・ミツシヱルに近い裏町に、ミツシヱルの屋根裏の部屋があつた。その町はもうかなり煤けて、物おじした建物が多かつた。
 ミツシヱルのアパルトは、この建物の中でも特に古ぼけた石造りで、門番《コンゼルジエ》の入口は、まるで肥料倉庫のやうな、ガラガラと鳴る大きな扉がしまつてゐた。
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