があったから、至れりつくせりの真情をもって妻を愛しておられた。だから奥さんは浮気心をおこすひまがないのだそうだ。毎日洗濯をしたり、子供と散歩したりして、幸福らしいと云うのだ。では、その恋人の気持ちはどんなものでしょうと尋ねると、これもまた、十五年の長い歴史があるから、何も云わなくても、かなしみもよろこびも判りあい、不貞だとはおもっていないと云うことだ。恋愛を悲劇にしてしまうのは、恋愛に甘くなるからだろう。正直になろうとしたり、その恋愛に純粋になろうとすることは、さしさわりのない人間同士の間のことだ。未婚の男女の恋愛には、既婚者のように徹するような思慮があるだろうか。私は解らなくなってしまう。
 恋愛に就いて、正直も純粋も大切だとはおもうが、もっと大切なことは、自分の周囲に火《ひ》の粉《こ》を散らさぬ用心だろう。つつましい朗《ほが》らかな恋愛だったら、不貞と云いきれないような気がする。だが、かなしいことには人間同士だから、よっぽど用心しないことには泥まみれになり、あたりの人に笑われなければならない結果になることもあろう。
 恋愛をすれば、勿論《もちろん》肉体も精神もそれにともなってゆくべ
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