が眞黒になつた。山肌は白と黄とエメラルドグリンの苔で、何だか菓子でつくつた山へ登るやうであつた。山裾には硫黄の工場があつた。明治十九年頃、安田一家がこゝに硫黄採取事業を經營して、標茶《しべちや》の驛まで運搬したものだと云ふことだ。
 川湯温泉は、弟子屈《でしかが》温泉より一つ向ふの驛で、網走へむかつた方である。部落中にふくいくとしたいそつゝじ[#「いそつゝじ」に白丸傍点]の花が咲いて、淺い枯れたやうな河床から湯が吹きこぼれてゐた。弟子屈への車中で、この川湯の驛長さんに遇つたのを思ひだしたが、あいにく雨が降り始めた。こゝには土産物を賣る店と自動車屋が二三軒ある。
 黄いろいジヤケツを着た若い運轉手は「これは大雨になりさうですぜ」と、急いでハンドルをきり川湯から弟子屈への暗い森の中の沿道を、四十哩の速度を出して走らせた。
 昨日よりもひどい雷で、雷光が走るとすぐ頭の上にすさまじい雷鳴がした。烏が幾十羽となく吃驚したやうに森の中へ逃げこんでゐる。雨に滴を拂らつて逃げまどふ烏の姿を私は何時までもふりかへつて見た。
「人の子にとつては、生れないこと、烈しい日の光を見ないことが、萬事にまさつてよい
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