にも辛い思いをして、私はあいつに真実をつくさなければならないのだろうか? 不意にハッピを着て自転車に乗った人が、さっと煙のように過ぎた。
 何もかも投げ出したいような気持で、
「貴方は八重垣町の方へいらっしゃるんじゃあないんですかッ!」
と私は叫んだ。
「えゝそうです。」
「すみませんが、田端まで帰るんですけど、貴方のお出でになるところまで道連れになって戴けませんでしょうか?」
 今は一生懸命、私は尾を振る犬のように走って行くと、その職人体の男にすがった。
「使いがおそくなったんですが、もしよかったら自転車にお乗んなさい。」
 もう何でもいゝ私はポックリの下駄を片手に、裾をはし折ってその人の自転車の後に乗せてもらった。
 しっかりとハッピの肩に手を掛けて、この奇妙な深夜の自転車乗りの女は、サメザメと涙をこぼした。
 無事に帰れますように……何かに祈らずにはいられなかった。
 夜目にも白く、染物とかいてある、ハッピの字を見て、ホッと安心すると、私はもう元気になって、自然に笑い出したくなった。
 根津でその職人さんに別れると、又私は漂々とどゝいつを唱いながら路を急いだ。
 品物のように冷い
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