た。
 誰も彼も握手をしましょう、ワンタンの屋台に、首をつっこんで、まず支那酒をかたぶけて、私は味気ない男の接吻を吐き捨てた。

 四月×日
「じゃあ行って来ます。」
 街の四ツ角で、まるで他人よりも冷やかに、私も男も別れた。
 男は市民座と云う小さい素人劇をつくっていて、滝ノ川の小さい稽古場に毎日通っていた。

 私も今日から通いでお務めだ。
 男に食わしてもらう事は、泥を噛んでいるよりも辛い、程のいゝ仕事よりもと、私のさがした職業は牛屋の女中さん。
「ロースあおり一丁願いますッ!」
 景気がいゝじゃないか、梯子段をトントン上って行くと、しみじみ美しい歌がうたいたくなる。
 広間に群れたどの顔も、面白いフィルムだ。
 肉皿を持って、梯子段を上がったり降りたり、私の前帯の中も、それに並行して少しずゝ[#「少しずゝ」はママ]ふくらんで来る。
 どこを貧乏風が吹くかと、部屋の中は甘味しそうな肉の煮える匂いでいっぱいだ。
 だが上ったり降りたりで、いっぺんに私はへこたれてしまった。
「二三日すると、すぐ馴れてしまうわ。」
 女中頭の、髷に結ったお杉さんが、腰をトントン叩いている私を見て、慰さ
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