ない、切れたがるきずな[#「きずな」に傍点]ならば此男ともあっさり別れよう……。
窓外の名も知らぬ大樹の、たわゝに咲きこぼれた白い花に、小さい白い蝶々が群れて、いゝ匂いがこぼれて来る。
夕方、お月様に光った縁側に出て男の芝居のせりふ[#「せりふ」に傍点]を聞いていると、少女の日の思い出が、ふっと花の匂いのように横切って、私も大きな声で――どっかにいゝ男はいないか! とお月様に怒鳴りたくなった。
此男の当り芸は、かつて芸術座の須磨子とやった剃刀と云う芝居だった。
私は少女の頃、九州の芝居小屋で、此男の剃刀を見た事がある。
須磨子のカチウシャもよかった。あれからもう大分時がたつ、此男も四十近い年だ。
「役者には、やっぱり役者のお上さんがいゝんですよ。」
一人稽古をしている、灯に写った男の影を見ていると、やっぱり此男も可哀想だと思わずにはいられない。
紫色のシェードの下に、台本をくっている男の横顔が、絞って行くように、私の目から遠のいてしまう。
「旅興行に出ると、俺はあいつと同じ宿をとった、あいつの鞄も持ってやったっけ……でもあいつは俺の目を盗んでは、寝巻きのまゝあの男の宿
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