夕方――ボアリボアリ雪が降った来た[#「降った来た」はママ ]。
あっちをむいても、こっちをむいても旅の空、もいちど四国の古里へ逆もどりしようか、とても淋しい鼠の宿だ。
――古創や恋のマントにむかひ酒――
お酒でも楽しんでじっとしていたい晩だ。
たった一枚のハガキをみつめて、いつからか覚えた俳句をかきなぐりながら、東京の沢山の友達の顔を思い浮べた。
皆自分に急がしい人ばかりの顔だ。
ボオウ! ボオウ! 汽笛の音を聞くと、私はいっぱいに窓を引きあけて雪の夜の沈んだ港に呼びかけた。
青い灯をともした船がいくつもねむっている。
お前も私もヴァガボンド。
雪々雪が降っている。考えても見た事のない、遠くに去った初恋の男が急に恋いしくなって来た。
こんな夜だった。
あの男は城ヶ島の唄をうたった。
沈鐘の唄もうたった。なつかしい尾道の海はこんなに波は荒くはなかった。
二人でかぶったマントの中で、マッチをすりあわして、お互いに見あった顔、一度のベエゼも交した事もなく、あっけない別離だった。
一直線に墜落した女よ! と云う最後のたよりを受取ってもう七年にもなる。あの男は
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