時も過ぎて、ほんとになつかしく、遠くの方で鶏の鳴く声がする。
 コケコッコオ! ゴトゴト新宿駅の汽車の汽笛が鳴ると、一番最後に、私の番で、銀流しみたいな男がはいって来た。
「ビールだ!」
 仕方なしに、私はビールを抜くと、コップに並々とついだ。厭にトゲトゲと天井ばかりみていた男は、その一杯のビールをグイと呑み干すと、いかにも空々しく、
「何だ! ゑびすか、気に喰わねえ。」
 捨ぜりふを残すと、いかにもあっさりと、霧の濃い舗道へ出てしまった。唖然とした私は、急にムカムカとすると、のこりのビールびんをさげて、その男の後を追った。
 銀行の横を曲ろうとしたその男の黒い影へ私は思い切りビールびんをハッシと投げつけた。
「ビールが呑みたきゃ、ほら呑ましてやるよッ。」
 けたゝましい音をたてゝ、ビールびんは、思い切りよく、こなごなにこわれて、しぶきが飛んだ。
「何を!」
「馬鹿ッ!」
「俺はテロリストだよ。」
「へえ、そんなテロリストがあるの……案外つまんないテロリストだね。」
 心配して走って来たお君ちゃんや、二三人の自動車の運転手達が来ると、面白いテロリストはボアンと路地の中へ消えてしまった。
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