時がある。別に商賣にさしさはりのある程の長い時間ではなかつたので、隆吉は氣にもとめなかつたが、その時間が、男とあひびきの時だつたのかと、隆吉は肚の底でうーんと唸るばかりだ。
「お前の年頃ではまだ早いと思ふがね。どんな人物か知らんが、早く世帶を持つて苦勞をする事も考へもンだな。第一、經濟と云ふものがなりたつまい。――若い時は夢をみがちだ。別にどうしろと云ふわけぢやないが、お前のためを思ふから、お父さんは心配するンだよ」
 妙子はくるりと腹這ひになつて、枕に頬杖を突くと、
「大丈夫よ。滿洲で妙子が死んだと思へばいいぢやアないの。部屋をみつけるつたつて、お父さん大變なのよ。いま、小さい部屋一つ借りるにしても何萬圓つて權利金がいるンですもの、宮内さんにはこゝへ來て貰つて、私がこゝへ通つて來るわ。私に月給をくれゝばいゝわ。さうすれば、私とても助かるンだもの……」
 隆吉は、天井をむいたまゝ一言の言葉もない。妙子はぼんやりとした表情で、何かを考へてゐるらしかつたが、やがて口笛を吹き始めた。
「相手の男は何をするひとだね?」
 隆吉がたづねた。
「新聞記者。新京で一寸知つてゐるのよ。奧さんと子供があ
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