崩浪亭主人
林芙美子

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)凭《もた》れて

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)夜中|枕席《ちんせき》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#「てんたん」に傍点]
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 砂風の吹く、うそ寒い日である。ホームを驛員が水を撒いてゐる。硝子のない、待合室の外側の壁に凭《もた》れて、磯部隆吉はぼんやりと電車や汽車の出入りを眺めてゐた。
 靴のさきが痛い。何だか冷たいものでも降つてきさうな空あひで、ホームの中央に吊りさがつてゐる電氣時計は、四時を一寸廻つて、四圍はもう昏《くら》さをたゞよはせて、如何にもあわたゞしい。若いうちは、中途半端な事に何の怖ろしさもなく、無性に自信を持つてゐたものだけれども、もう、五十の年をきいては、中途半端でゐる事は何よりも不安至極で、人間として少しも値打ちのないやうな空白を感じてくる。この懷《おもひ》つぶさに云ひがたしで、隆吉は、刻み煙草に火をつけながら、ぽつぽつ家へ戻らうかと思つた。
 磯部隆吾が、滿洲から、妙子を連れて引揚げて來たのは、一ヶ月ほど前であつた。誰
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