一人身寄りもない日本ではあつたけれども、戻つてみると、故郷はありがたい。古い袷に手をとほしたやうなぬくぬくとしたものを感じた。妻の糸子は甲州のかじかざはと云ふところの生れださうだけれども、これとても、子供の頃に東京へ出て來てゐたので、そのかじかざはと云ふところの名前が、どんな文字で書かれるのかも判らなかつた。
東京の病院で、看護婦をしてゐた糸子と二十五年前に結婚して、すぐ、滿洲に渡り、奉天を振り出しに、北滿の果てまで轉々と居を變へて終戰になつたのである。ハイラルでは四年ほど住んでゐた。驛近くで高級食料品店を開いてゐて、二十歳を頭に、三人の娘があつたのだけれども、女房と、中の娘は終戰と同時に肺患で亡くなり、長女は新京で行方知れずになり、末娘の妙子と二人で今日に到つた。妙子は十七歳で、日本の土地を一度もふんだ事のない娘であつた。
同じ引揚船で苦樂をともにして戻つて來た仲間のうちに、滿鐵の社員で、年配も隆吉と同じ年頃の河邊亮太郎と云ふ男がゐた。家族は東京に殘したまゝであつたので、戻つてゆく栖家《すみか》には不自由がない。戸山ヶ原の近くに五百坪ばかりの地所もあり、家も燒けのこつてゐた。磯部
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