な気がしてなりません。
昭和元年、私は現在の良人《おっと》と結婚しました。文芸戦線から退いて、孤独になって雑文書きに専念しました。才能もない人間には努力より他になく、この年頃から、私はようやく、何か書いてみたいと思い始めました。結婚生活に這入っても、生活は以前より何層倍も辛く、米の買える日が珍らしい位で、良人の年に三度ある国技館のバック描きの仕事と、私の年に二、三度位売れる雑文で月日を過ごしました。
その時分、私はもう詩が書けなくなっていました。日記を雑記帳に六冊ばかり書き溜めていましたが、これを当時|長谷川時雨《はせがわしぐれ》女史によって創刊された女人芸術の二号位から載せて貰いました。三上於菟吉《みかみおときち》氏が大変|讃《ほ》めて下すったのを心に銘じています。――この頃から、私はフィリップに溺《おぼ》れ始め、フィリップの若き日の手紙には身に徹しるものを感じました。私は、まるで大洪水に逢ったように、売るあて[#「あて」に傍点]もない原稿の乱作をしました。『清貧の書』と云う作品もこの時代に書きました。この時代ほど乱作した事はありません。昭和四年の夏、私は着る浴衣《ゆかた》さえも
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