売りつくして、紅い海水着で暮らしていました。掘の内の墓場に近い広い庭園の中の家で、着物がなくても気兼ねすることはありませんでしたが、ある日、大きな鞄《かばん》をさげて一人の紳士が私を訪れて来ました。折悪《おりあ》しく、その紅い海水着のまま、台所とも玄関ともつかない所で洗濯していた私は、ぞんざいな口調で、「何ですか」と尋ねたものです。「改造社のものです」と、その紳士は私に名刺を出しました。私は、裸に近い自分に赤面してしまって、とにかく、着物もないのですからむき出しのひざ[#「ひざ」に傍点]小僧へ手拭をあてて縁側《えんがわ》へ坐って挨拶しました。その方が、改造社の鈴木一意氏でした。
 私は、その秋の改造十月号に『九州炭坑街放浪記』と云う一文を載せて貰うことが出来ました。その時のうれしさは何にたとえるすべもありません。広告が新聞に出ると、私は、その十月号の執筆者の名前をみんな覚えこんだものでした。創作では、久米正雄《くめまさお》氏のモン・アミが大きな活字で出ていました。森田草平《もりたそうへい》氏の四十八人目と云うのや、谷崎潤一郎《たにざきじゅんいちろう》氏の卍《まんじ》、川端康成氏の温泉宿
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