ぺい》さんが、上海から薄い同人雑誌を送ってよこしていました。――世田ヶ谷の奥に住んでいました時、まだ無名作家の平林たい子さんが紅《あか》い肩掛けをして訪ねて見えました。その頃、私におとらない[#「おとらない」に傍点]ように、たい子さんも大変苦労していられたようでした。野村氏とは二年ほどして別れた私は新宿のカフェーに住み込んだりして暮らしていました。カフェーで働くことも厭になると、私はその頃、ひとりぐらしになっていたたい子さんの二階がりへ転り住んで、暫《しばら》くたい子さんと二人で酒屋の二階で暮らしました。その頃、無産婦人同盟と云うのにも這入りましたが、私のような者には肌あいの馴れない婦人団体でした。その頃、童話を書くかたわら、私は文芸戦線に、創刊号から詩を書いていました。ところで、私の童話はまれにしか売れないのです。――
 私はその頃、徳田秋声《とくだしゅうせい》先生のお家にも行き馴れておりました。みすぼらしい私を厭がりもしないで、先生は何時行っても逢って下すったし、お金を無心して四拾円も下すったのを今だにザンキ[#「ザンキ」に傍点]にたえなく思っています。徳田先生には一度も自分の小説
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