毎晩のように色々な文人が集りました。辻潤氏や、宮嶋資夫《みやじますけお》氏や片岡鉄兵《かたおかてっぺい》氏などそこで知りました。ひとりになると、私はまた食べられないので、その頃は、神田のカフェーに勤めていました。大正琴のあるようなカフェーなので、そんなに収入はありませんでした。「二人」は金が続かないので五号位で止《や》めてしまいました。友谷静栄と云うひとは才能のあるひとで、その頃、新感覚派の雑誌、文学時代の編輯をも手伝っていました。私は、その頃童話のようなものを書いていましたが、これは愉しみで書くだけで少しも売れなかったのです。
 私にとって、一番苦しい月日が続きました。ある日、私は、菊富士ホテルにいられた宇野浩二《うのこうじ》氏をたずねて、教えを乞うたことがありましたが、宇野氏は寝床《ねどこ》の中から、キチンと小さく坐っている私に、「話すようにお書きになればいいのですよ」と云って下すった。たった一度お訪ねしたきりでした。間もなく、私は野村吉哉《のむらよしや》氏と結婚しました。大変早くから詩壇に認められたひとで、二十歳の年には中央公論に論文を書いていました。その頃、草野心平《くさのしん
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