なカイロを抱いて、古本に読み耽りました。私の読書ときたら乱読にちかく、ちつじょ[#「ちつじょ」に傍点]もないのですが、加能作次郎《かのうさくじろう》と云うひとの霰《あられ》の降る日と云うのを不思議によく覚えています。いまでも、加能作次郎氏はいい作家だと思います。加能氏が牛屋《ぎゅうや》の下足番《げそくばん》をされたと云うのを何かで読んでいたので、よけいに心打たれたのでしょう。私はその頃新潮社から出ていた文章|倶楽部《くらぶ》と云う雑誌が好きでした。室生犀星《むろうさいせい》氏が朝湯の好きな方だと云うことも、古本屋で買った文章倶楽部で知りました。室生氏が手拭《てぬぐい》をぶらさげて怒ったような顔で立っていられる写真を覚えています。私は室生氏の詩が大変好きでした。大正十二年震災に逢って、私たちは東京を去り、暫《しばら》く両親と四国地方を廻っておりました。暗澹《あんたん》とした日常で、何しろ、すすんで何かやりたいと云った熱情のない娘でしたので、住居《すまい》も定まらず親子三人で宿屋から宿屋を転々としながら、私は何時も母親に余計者だとののしられながら暮らしていました。大正十三年の春、また、私は
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