なかったからでしょう。巴里に帰ってみると、あてにしていた稿料が、本人行先不明で日本へ返されていたのにはがっかりしました。
 昭和七年の夏、山本改造社長の好意で旅費を送って貰い、私は欧洲から再び日本の土を踏むことが出来ました。日本へ上陸するなり考えたことはすばらしい詩を書きたいと思ったことです。血の気のない古色をおびた小説が私の眼にうつり始め、私は日本の若い作家に軽い失望を感じたりしたのです。一年あまりの欧洲滞在で、私は感覚ばかりが逞《たくま》しくなったようです。感覚ばかりが逞しい故に、自分の作品の上の技巧はかえって稚拙なもので、一年の間は、散文のような小説を書いていました。河上徹太郎《かわかみてつたろう》氏、小林秀雄《こばやしひでお》氏たちに深切《しんせつ》な批評を貰いました。曲りなりにも血の気の多い作品を書きたいと思っていたのです。日本のいまの文学から消えているものは詩脈ではないかと思ったりしました。詩のない世界に何の文学ぞやと思ったりしました。ちつじょ[#「ちつじょ」に傍点]立った大論文も書けないので、いまさら詩を論じることは笑われそうだけれども、私は欧州で感じた日本の言葉の美しい
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