から雑文書きの仕事は離れないのです。着くと早々フランが高くなった為に、私は毎日々々アパルトマンの七階の部屋で雑文を書き、巴里へ送って来た金を逆に日本の両親のもとへ送らなければならなかったのです。巴里では栄養不良の一種で鳥眼《とりめ》になってしまいました。夜分になると視力が衰え、何をする勇気もないのです。
 眼を病《や》んで寝ている時、渡辺一夫《わたなべかずお》氏たちにお見舞を受けたのですが、その時のうれしさは随分でした。欧洲にいる間、私は一つの詩、一つの小説も書きません。昭和七年の正月、倫敦《ロンドン》に渡ってゆきましたが、ここでは寒さに閉じこめられて、落ちついて読書することが出来ました。ケンシントン街の小さいパンションにいましたが、毎日部屋にこもってばかりいました。詩を沢山読みました――ガルスワアジイと云うひとの、「生とは何か? 水平な波の飛び上ること、灰となった火のぱっと燃えること、空気のない墓場に生きている風! 死とは何か? 不滅な太陽の沈むこと、眠らない月のねむること、始まらない物語りの終局《おわり》!」このような詩に、私は少女の頃、ああそはかのひとかと聞いた日を憶い出して、心
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