は人力車が随分多い処だ。――縄手《なわて》の西竹と云う小宿へ行った。小ぢんまりとした日本宿だと人にきいていたので、どんな処かと考えていたが、数寄屋《すきや》造りとでも云うのだろう、古くて落ちついた宿だった。前が阿波屋と云う下駄屋で、狭い往来《おうらい》はコンクリートの固い道だった。荷車に花を積んだ花売りが通る。赤い鉢巻きをした黒い牛が通る。朝の往来はすがすがしかった。わたしの部屋は朝だと云うのに暗くて、天井の低い部屋だった。裏は四条の電車の駅とかで、拡声機の声がひっきりなしに聴《きこ》えて来る。わたしは小さい机に凭れて宿帳《やどちょう》を書き、障子《しょうじ》を開けてみたり、鏡台の前に坐ってみたりした。明日の講演さえなければ奈良の方へでも行ってみたいなとおもった。
障子を開けると、屋根の上に細い台がこしらえてあって、幾鉢か植木鉢が置いてある。白い花を持った躑躅《つつじ》や、紅い桃、ぎんなん[#「ぎんなん」に傍点]の木、紅葉、苔《こけ》の厚く敷いた植木鉢が薄陽《うすび》をあびて青々としていた。庭が狭いので、屋根の上に植木を置いて愉しむ気持ちを面白いとおもった。如何《いか》にも京都の宿屋
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