の濡れた顔をこすつたからでせう。それから、何だか変に呆つとして、私は、足を踏んだあの兵隊さんの皓い歯が、一寸なつかしいものに思へてなりませんでした。
谷間の家では、不意に私が行つたので、驚いて掃除をしてくれるなぞ、大変いゝ人達ばかりです。又――。
[#地から2字上げ]かづ子
百合江さま
第二信
大空の秋風高し何処にか失せにし夢のゆくへたづねむ
障子をいつぱい開けて、寝床の中から空を見てゐると、山の肩の上を白い雲が風のやうにスイスイ流れて、貴女の好きだつたこの歌をつツと思ひ出しました。
お元気ですか。
私はいま大変幸福です。平凡な片隅の生活が、どんなに私を驚かせたでせう。私はいま貴女に、どのやうなお礼の言葉を差し上げたらよいかと迷つてゐます。
埃を吸つて、黄や赤や紫の灯火にくだけた私のはかない踊り子生活は、もう夢のやうに遠くへ去つてしまつた感じです。私はなぜ此様に尊い平凡な生活を忘れてゐたのでせう。
私の体は、日ましによくなつて行きます。肺は怖ろしい病気だなんて、私はよつぽど幸福な病気だつと思つてゐますわ。
魚ツけのない谷間の日々、私は新鮮な野菜ばかりを食べて別
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