るもの、宮島|資夫《すけお》、五十里《いそり》幸太郎、片岡鉄兵、渡辺渡、壺井繁治、岡本潤。
五十里さん、俺の家には金の茶釜がいくつもあると呶鳴っている。
なにかはしらねど、心わあびて……渡辺渡が眼を細くして唄っている。私はお釈迦《しゃか》様の詩を朗読する。人間、やぶれかぶれな気持ちになると云うものは全く気持ちのいいものだ。やぶれかぶれの気持ちの中から、いろいろな光彩が弾ける。黒いルパシカを着た壺井繁治と、角帯を締めた片岡鉄兵がにやにや笑っている。
辻潤訳のスチルネルがいくら売れたところで、世の中は大した変りばえもしない。日本と云うところはそう云ったところだ。がんじがらめの王国。――帰り、カゴ町の若月紫蘭邸へ寄る。東儀鉄笛の芝居の話あり。
岸輝子さん黒い服を着ている。私はこのひとの音声が好きだ。――俳優とは如何なるものであろうか……。私には何の自信もないのだけれども、只、こうして通って来るだけだ。そして、ヨカナアンを覚え、オフェリヤを猿真似のように私は朗読する。詩人にもなってみたい、俳優にもなってみたい、そして、絵描きにもなってみたい。
若い周囲には、魔法のように様々な本能が怖《おそ》れ気もなくうごめいている。この、若い人達の中から、どれだけの名優が生れて来るのかは判らないけれども、この座に坐っている時だけは幸福の門の前に立っているような気がする。紫蘭邸を一歩外へ出ると、何とない自分の将来に対して幻滅を感じるのだけれども、朗読をしている間は倖せな思いがする。
今夜はストリンドベリイの稲妻に就いての講義あり。
帰り、カゴ町の広い草っぱらで螢《ほたる》が飛んでいた。かえり十二時。白山《はくさん》まで長駆して歩いてかえる。
炭屋の二階四畳半が当座の住居。部屋代は四円。自炊するのには一山二十銭の炭を買って燃料にはことかかない。蜜柑《みかん》箱の机に向ってまた仕事。童話をいくつ書けば、いったいものになるのか判らない。シンデレラめいたもの、イソップめいたもの、そのどれもこれもが一向に何の反響もない。
四囲がわあっと炭臭い。炭臭くてどうにもならない。――神様、神様と云うもの……。まるい、ふわふわ、三角のとげとげ、どんな形をしているのだ、貴方《あなた》は? 髯《ひげ》をはやして眼をつぶって、白い羽根をシダのように垂れさげているのですかね。もやもやの真空なのか? 神よ! いったい、貴方は、本当に私のまわりにも立っているのか云って下さい。きっと、私のようなもののところには来ないのでしょう? 神様! 本当に貴方は人間のところに存在しているのですかどうですか? 神様よ。私には一向に見えない。そのくせ、私は見えない貴方に手を合わせる。誰も見ていないから、甘ったれ、涙を流して、じいっと、貴方に祈る。何とかして、このイソップが明日の糧になりますように。あの編輯者《へんしゅうしゃ》の咽喉もとを締めつけてやって下さい。パイプを咥えて気取って、二時間も、あの暗い狭い玄関に待たされる。下手くそな、自分の童話を巻頭に乗せて威張っているようなあの編輯者をこらしめて下さい。たまに買ってくれれば上前をはねてしまう。一日じゅうお椀のようなナイトキャップをかぶって、パイプを咥えているのがハイカラだと思っている男。
あまり無名なものの作品は載せたくないんだと云う。読者の子供が、無名も有名も知った事ではない筈だ。一生懸命に書いてみたンですけど駄目でしょうかと必死になる。私は何時間も待たされてなぶり者になってしまう。一枚三十銭でなくてもいい、二十銭でもいいから取って下さいと頼んでみる。では特別ですよとこの間も十枚で一円五十銭くれて、まアよく勉強するンだな。アンデルゼンでも読み給え。はい、アンデルゼンを読みます。玄関を出るなりわっと割れるような息をする。
あの編輯者メ、電車にはねられて死なないものかと思う。雑誌も送って来やしない。本屋で立読みをすると、私の童話が、いつの間にか彼の名前で、堂々と巻頭を飾っている。頭も尻尾《しっぽ》も書きかえられて、私の水仙と王子がちゃんと絵入りで出ている。
次の原稿を持って行く時は、私は、そんなものは何も知らない顔で、にこにこと笑って行かなければならない。また二時間も待たされて、笑顔をつづけている事にくたびれてしまう。ああ、厭な仕事だと溜息が出る。神様! これでも悪人をはびこらせておくのですか。
童話が厭になると詩を書く。だけど、詩もてんから売れやしない。見ておきましょうと云って、みんなかすみのように忘れられてしまう。
神様よ。いったい、どうして生きてゆけばいいのか私は判らない。貴方は何処に立っているんですか。
(六月×日)
朝、重い頭をふらふらさせて、本郷森川町の雑誌社へ行く。電車道でナイトキャップの男に会う。笑いたくもないのに丁寧に笑って挨拶をする。その男は社へ行く道々も、詩集のようなものを読みながら歩いている。
玄関の暗い土間のところに、壁に凭《もた》れてまた待つ用意をする。小さい女の子が出て来て、厭な眼つきをして私を見ては引っこむ。
「赤い靴」と云う原稿を拡げて、私はいつまでも同じ行を読んでいる。もう、これ以上手を加えるところもないのだけれども、何時までも壁を見て立っているわけにはゆかないのだ。
ああ、やっぱり芝居をしようと思う。
時計は十二時を打っている。二時間以上も待った。いろんな人の出入りに、邪魔にならぬように立っていることがつまらなくなって、戸外へ出る。何だって、あの男は冷酷無情なのかさっぱり判らない。無力なものをいじめるのが心持ちがいいのかも知れない。
歩いて根津権現裏の萩原恭次郎のところへ行く。
節ちゃんは洗濯。坊やが飛びついて来る。
朝も昼も食べないので、躯《からだ》じゅうが空気が抜けたように力がない。坊やに押されると、すぐ尻餅をついてしまう。恭ちゃんのところも一銭もないのだと云う。恭ちゃんは前橋へ金策の由なり。
銀座の滝山町まで歩く。昼夜銀行前の、時事新報社で出している、少年少女と云う雑誌は割合いいのだと聞いたので行ってみる。
係の人は誰もいないので、原稿をあずけて戸外へ出る。四囲いちめん食慾をそそる匂いが渦をなしている。木村屋の店さきでは、出来たてのアンパンが陳列の硝子をぼおっとくもらせている。紫色のあんのはいった甘いパン、いったい、何処のどなたさまの胃袋を満すのだろう……。
四丁目の通りには物々しくお巡りさんが幾人も立っている。誰か皇族さまのお通りだそうだ。皇族さまとはいったいどんな顔をしているのだろう。平民の顔よりも立派なのかな。ゆっくり歩いてカフエーライオンの前へ行く。ふっと見ると、往来ばたの天幕小屋に、広告受付所、都新聞と云うビラがさがって、そのそばに、小さく広告受付係の婦人募集と出ている。天幕の中には、卓子が一つに椅子が一つ。そばへ寄って行くと、中年の男のひとが、「広告ですか?」と云う。受付係に雇われたいのだと云うと、履歴書を出しなさいと云うので、履歴書の紙を買う金がないのだと云うと、その男のひとは、吃驚した顔で、「じゃア、これへ簡単に書いて下さい。明日から来てみて下さい」と親切に云ってくれた。ざらざらの用紙に鉛筆で履歴を書いて渡す。
この辺はカフエーの女給募集の広告が多いのだそうだ。皇族がお通りだと云うので街は水を打ったように森閑となる。どの人もうつむいて動かない。巡査のサアベルが鳴る。
人々の列の向うをざわざわと自動車が通る。自動車の中の女の顔が面のように白い。ただそれだけの印象。さあっと民衆は息を吹きかえして歩きはじめる。ほっとする。
明日から来てごらんと云われて、急に私は元気になった。日給で八十銭だそうだけれども、私には過分な金だ。電車賃は別に支給してくれる由なり。その男のひとの眼尻のいぼ[#「いぼ」に傍点]が好人物に見える。
「明日早く参ります」と云って歩きかけると、そのひとが天幕から出て来て、私に何も云わないで十銭玉を一つくれた。おじぎをするはずみに涙があふれた。神様がほんの少しばかりそばへ寄って来たような温い幸福を感じる。執念深い飢がいつもつきまとっている私から、明日から幸福になる前ぶれの風が吹いて来たような気がする。今朝、私は米屋で貰った糠《ぬか》を湯でといて食べた事がおかしくなって来る。躯を張って働くより道はないのだと思う。売れもせぬ原稿に執念深く未練を持つなんて馬鹿々々しい事だ。「赤い靴」の原稿は、あのままでまた消えてゆくに違いないのだ。
あの皇族の婦人はいかなる星のもとに生れ合せたひとであろうか? 面のように白い顔が伏目になっていた。どのようなものを召上り、どのようなお考えを持たれ、たまには腹もおたてになるであろうか。あのような高貴の方も子供さんを生む。只それだけだ。人生とはそんなものだ。
夕方から雨。
傘がないので、明日の朝の事を考えると憂鬱になって来る。
夜更まで雨。どこかであやめ[#「あやめ」に傍点]の花を見たような紫色の色彩の思い出が瞼の中を流れる。
(六月×日)
前はライオンと云うカフエーで、その隣りは間口一間の小さいネクタイ屋さん。すだれのようにネクタイが狭い店いっぱいにさがっている。
今日で四日目だ。
三行広告受付で忙がしい。一行が五十銭の広告料は高いと思うけれども、いろんな人が広告を頼みに来る。――芸妓募集、年齢十五歳より三十歳まで、衣服相談、新宿十二社何家と云う風に申込みの人の註文《ちゅうもん》を三行に縮めて受付けるのだ。浅草、松葉町カフエードラゴン、と云うのが麗人求むなのだから、私は色々な事を空想しながら受付ける。
かんかんと陽の照る通りを、美しい女達が行く。私はまだ洗いざらしたネルを着ている。暑くて仕方がないけれど、そのうち浴衣の一反も買いたいと思う。
眼の前のカフエーライオンでは眼の覚めるような、派手なメリンスを着た女給さんが出たりはいったりしている。世の中には、美しい女達もあるものだと思う。まるで人形のようだ。第一等の美人を募集するのに違いない。
こうした賑やかな通りは、およそ、文学と云うものに縁がない。金さえあれば、いかなる享楽もほしいままなのだ。その流れの音を私は天幕の中でじいっとみつめている。たまには乞食も通る。神様らしきものは通らない。そのくせ、昼食時のサラリーマンの散歩姿は、みんな妻楊枝《つまようじ》を咥えて歩いている。ズボンのポケットに一寸手をつっこんで、カンカン帽子をあみだにかぶり、妻楊枝をガムのように噛《か》んでいる。
私は天幕の中で色々な空想をする。卓子のひき出しの中には、ギザギザの大きい五十銭銀貨が溜《たま》ってゆく。これを持って逃げ出したらどんな罪になるのだろう……。広告主はみんな受取を持って来るから、広告がいつまでたっても出ないとなれば呶鳴りこんで来るかもしれない。これだけの金があれば、どんな旅行だって出来る。外国にだって行けるかも知れない。これだけの金を持って何処かへ行く汽車に乗る。そして、それが罪になって、手をしばられてカンゴクへ行く。空想をしていると、頭がぼおっとして来る。この半分を母へ送ってやれば、どんないいひとがみつかったのかと田舎では驚くかもしれない。あのひと達を二人そろって呼びよせる事も出来る。
理想的な同人雑誌を出す事も出来るし、自費出版で美しい詩集を出す事も出来る。卓子の鍵《かぎ》をじいっとみつめていると、心がわくわくして来る。ひき出しをあけて金を数える。百円以上も貯《たま》っている。大したものだ。銀貨の重なった上に掌をぴたりとあててみる。気が遠くなるような誘惑にかられる。私以外にはここには誰もいない。四時になれば、あの眼尻にいぼのあるひとが金を取りに来る。
罪人になる奇蹟《きせき》。
何と云う罪になり、どの位カンゴクにはいるものだろう……。
神様がこんな心を与えるのだ。神がね。
「朝から夜中まで」の銀行員の気持ちにもなる。
プロシャのフレデリックは「誰でも、自分自身の方法で自分を救わなければならぬ」と云ったそうだ。ああ、誰
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