るのだけれども、そこに暗雲が渦をなして流れて行くのは、何としてもいなみがたい事だろうと思える。私はなるたけいい生活をして行きたいと思いました。善良な人達である故に、その善良な人達を苦しめたくないと思い、この二三年、幾度となく離れたり集まってみたりもしてみました。打ち割って云えば、母と二人だけで簡素な生活に這入れる事が、ほんとうは一番の理想なのだけれども、仲々そうもゆかない。私の母はフィリップ型の女で、気弱なくせに勝気でその日その日だ。私は長い間、この母親の姿だけを恋い求めていたようです。義父は母よりも若いひとで、色々な曲折はあったけれども二十年もこの養父は母と連れ添っていました。私は自分の作品の中に、この義父の事を大変思いやり深くは書いているけれども、十七八の頃は、この義父をあまり好かなかったようです。だけど、いまは、私もあれから十年も年齢をとりました。私もひとかどの分別がついて来ると、好きとか嫌いと云うよりもまずこの父を気の毒な人であったと思い始め、養父に就いてそんなに心苦しくも思わないのだけれども、母親に対するような愛情のないのは何としても仕方がないと思っています。私は十二三歳の頃から働いていました。両親に送金を始めたのは十七八歳の頃からであったでしょう。不思議にキモノ一つ欲しいとも思わなかったせいか、働くことはあたりまえの事だと思ってわずかながらも私は送金をしていました。
現在になって、私はどうやら両親を遊ばせておける位になったのだけれども、その日その日を働いて日銭をもうけて来ている人達なので、仲々私につきそって隠居をして来ようとはしない。私から商売の資本を貰っては、今だに小商売を始めて、四五日とたたないですぐ失敗をしているのです。私はこんなことにくたびれ始めました。隠居をして草でもむしっていてくれている方が、私にはうれしいのだけれども、何としても仕方がないのです。皆が別な意味で私をたよりきっているとも云えます。収入と云えば私の「書く」と云う事だけのことで、別にしっかりした安定もないのだ。世に知れている私と云うものは、ふてぶてしくあるかも知れない。酒呑みのようにきこえているかも知れない。だが、私はほんとうは酒も煙草もきらいだ。酒をのむことで気持ちを誤魔化していられるうちは楽だけれども、いまはそんなもので誤魔化しきれなくなってしまいました。皆々あまり善良すぎる人達故に。――私はまた七年前にひそやかながら現在の夫と結婚をしている。義父にはまだ母親がいるし、私から云えば義理の祖母なのだけれども、この祖母の持論は、「お前のお母さんの為めに、私の息子が二十年間も子供もなく、男の一生が代《だい》なしになってしまった。」と云うのであった。だから、結局は恩と云うものを忘れてくれるなと云う事なのだろうけれども、この祖母には月々わずかながら隠居費と云うものも私は送っている。妙に私と云うものが固く皆にたよられているのです。やりきれないとは思いながら、私は自分に出来る間はとも考えて弱くなっています。けれど、私の仕事はマッチ箱を貼《は》るのやミシンの内職とも違うし、机の前に坐ってさえおれば原稿が金にでもなるようにも思っているらしい家族達に、私のいまの気持ちを正直に云ったところでどうにも始まった事でもないだろうと思います。いっそ、ミシンのペタルでも押して内職した方が楽しみかも知れないのだけれど……。長い間不幸な境遇にあった人達であっただけに、私はこの人達を愛してゆこうと思いました。そうして愛していました。だけど、一旦この小家族の中で波がおきると、母は父の方へよりそって行ってしまって、私はまるであってもなくてもいい存在になってしまう。思いあうよりもまず憎みあう気持ちを淋しく考えます。頭が痛いと云えば薬を飲めばなおってしまうと思っている人達である。
朝起きて、小さな女中を相手に食膳をととのえ、昼は昼、夜は夜の食事から、米味噌の気づかい、自分の部屋の掃除、洗濯、来客、仲々私の生活も忙がしい。その間に自分のものも書いて行かなければならないのです。自分の作品の批評についても、私は仲々気にかかるし、反省もし、勉強も続けてはいるけれども、時々空虚なものが私を噛みます。梅雨時はとくにうっとうしいせいか、思いきりよく果ててしまいたい気も時にするときがあります。このまま消えてしまったならばせいせいするだろうと云った気持ちが切なのです。だけど、私がいなくなってしまえば、凧《たこ》の糸が切れたように、家族の者達がキリキリ舞いをしてしまう事を考え始めるとそれも出来ないような思いである。目標を定めたいと思って、頃日《けいじつ》禅と云うものをやりだしたのだけれども、まだそれも未詳の境地で、自分だけのほんとうの悟りを開くには仲々前途はるかなものがあります。この頃の心のやりばにして、私はウォルター・ペイターを読んでいます。「ウォルター・ペイターは少数の中の特異な芸術家で、我々は彼の生活の中に芸術に対する芸術家の生活の極度の謙譲の例を見出す。彼の生活は、あたかも多量の潮を容《い》れるために平かになった満潮時の海のように心の経験が深くなればなる程かえって静まった。」と云う一節があったけれども、心の経験がペイターの日蔭であるならば、ペイターも案外ロマンチストに違いない。だが、そんなところが魅力なのか、ペイター研究は仲々愉しい。ペイターは、また美しく大きな仕事を残して早世した人達を愛し同情していたと云う事でもあるけれど、それにはひどく同感だ。
何の雑誌であったか、最近松井須磨子の写真を見ました。実に美しかった。精練の美がにじみ出ていた。このひとの老いた顔を、この写真から想像する事は出来ない。霜のように烈々とした美しい写真であった。天才肌のこの様な女の死はひどく勿体《もったい》なさを感じるけれど、仲々|悧巧《りこう》なひとであったとも考えられる。とくにこのひとが女優であるが故に。――私は、松井須磨子のような美貌も持っていなければ、まして天才でもないのだ。だけど、私は、何かしら老いて行く事をひどく恐れはじめています。肉体のおとろえもさる事ながら、作品の上のおとろえはこれは敗惨と云うにはあまりに辛すぎる気持ちでしょう。
私はまた一面には台所をたいへん愛しています。家族の者達を愛していることは勿論《もちろん》。そうして自らこの中で安心して老い朽ちて行く自分を私は瞼をとじて観念しているのだ。
「お前の仕事なぞ大したもンじゃないじゃないか。」言葉の行きがかりで夫の口から時にこの様なことも聞くけれど、あんまり当り過ぎている事を、あまり身近な人間からきかされるので、痛いと云うよりも冷汗が出る思いでした。私の仕事と云えば、色々な夾雑物《きょうざつぶつ》ばかりのもので、本当はこれとして澄んだものが一つもない。実際ここまでは来たけれど、ここから道が切れてしまった感じなのです。
過去に、私はまた一つの恋愛を持っていたこともあるけれど、これにはプレイトニズムではないけれど、私の芸術の中に、「恋をするものの密《ひそ》かな気息であり、天上の星の音楽である。」と云う言葉のようなものがありました。実に一瞬ではあったけれど、私の絶々《たえだえ》な気持ちによく笞《むち》打ってくれるものがありました。その恋愛は、私との愛情がまだ終りをつげないうちにほろんで亡くなってしまいました。この恋愛に破れた時は、生きる自信がなくなってしまったような気持ちでした。だけど、その小さな事件もまた私の過去の月日の中へ流れて行ってしまいましたけれども、私はチエホフの可愛い女のように、何かに寄りすがらなければ生きて行けない女であるらしい。――私は肉親と云うものには信を置かない。他人よりも始末が悪いからだ。働きものだと云うので愛されている事は苦しいことである。苦しいはずだのに、結局はこの人達によりそって大根を刻み人参《にんじん》を刻んでいるのです。私は最近本を三四冊出しました。一冊は本屋がつぶれて半分しか印税がもらえず、あと三冊の印税は、これで少し雑文を止めて一年位は勉強をしなおすために取っておこうと考えているのだけれども、外国時代の借金や、「これが最後だから」と云う義父の言葉に、小喫茶店位は出せる程のものを分けていたら、またそろそろ私は机の前に坐らなければならなくなりました。税務署からは税金のお達しも来ました。仲々忙がしい私です。自分でもこの気持ちや生活を排斥していながら、死にでもしなければ改正出来そうもないありさまに呆《あき》れている。嫌な女の部類です。生活が中途半端だけでなく、心までが中途半端で、自分で自分の気持ちにやりきれなくなる時がある。いまは馬鹿馬鹿しく大きい家にいますけれども、これも私の或る一面の気持ちかも知れません、少し清算して奥床しい家に引越したいものとも考えています。
私は、書けるだけ書こう。体は割合丈夫だ。その丈夫さがいとわしいのだけれど、仕事をするには、体が健全でなければならないと思っています。果てる時は果てる時だと思っている。大熊長次郎と云う人の歌にこの様なのがある。
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静にぞねむらせたまえ
人間の
命死にゆく時のおわりに
[#ここで字下げ終わり]
これは、ほのぼのとした歌で、強がっている私を妙に悲しがらせる。実際悲しい時がある。勉強も字を書く事も嫌になってしまう時がある。芝居や映画も久しく疎縁だ。白々しい時は、唇に両手をあててじっとしているに限る。媒介物によって身を終ってしまいたいような、そんな焦々《いらいら》した日も多いのだけれども、ほんとうはこれからいい仕事をしたいと思っています。「大した仕事じゃないじゃないか。」と云う、その私の大した事でもない仕事に、私はいまなお拘泥して生きているのです。何も大道の真中を行くのばかりが小説でもないと思っている。片隅の小道を通るような、私なりに小さくつつましいものが書きたいと思います。
どうも、私はこの頃恐怖症にかかっているのかも知れない。人がみなおそろしく思える。訪ねてくれる人より外、私は私の方からは誰も訪ねて行かない。夢をみてもおそろしい。現《うつつ》でいても時に後に誰か立っているような錯覚をおこしている。大きな心でいたわりあってくれるものと云えば、もう犬ぐらいのものです。月夜、石の段々に腰をかけていると、犬だけが、私によりそって来ている。私の手からはもう何もなくなってしまいました。本当は月夜の自分の影さえもなつかしいのだけれど……。私の頭の中はいま真空だ。危急なものが流れこんで来そうに思える。その危急なものをまとめてみたいと日夜考えているのだけれども、その正体をつかむまでに至らない。ここまで書いて来て、何度となくこの様なぶちまけを書く事に私は嫌悪をもよおして来たのだけれど……。まアいいとしましょう。
人にあれこれ云われなくても反省しすぎる位、反省して私は自分の事をさらけだしているつもりだ。この上何の思い出だろう。過去の事は、苛《いじ》められる笞にしかすぎない。
今は、両親とも別居してしまいました。広い家には私は女中と二人で気抜けしたように呆んやりしているけれど、愛してほしいと云う気持ちの母親が、まるで子供みたいに遠く離れていっていますし。――新聞を見ると毎日身上相談と云うものがある。実際女と云うものの身上が、いかに大根《おおね》がなくて弱々しいのかと笑っていたけれども、私も段々笑えなくなり始めました。
只、力を出して仕事に熱中し努力したいと思っています。それより他には私には何もなくなったのだ。何かもっと云いたい気もするけれども、心が鬱々としている時、何かはっきり云えない気持ちなのです。――静かな観照、素材の純化、孤独な地域、この様な作品を長年|憶《おも》っています。そして私の反省は死ぬまで私を苦しめることでしょう。
[#改丁]
第三部
[#改ページ]
(三月×日)
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烏《からす》が光る
都会の上にも光る
烏が白く光る
花粉の街 電信柱のいただき
ゆれますよ ゆれてるよ
停るところが
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