しら、私は女達を睨み返してやった。女ほど同情のないものはない。
 いいお天気なのに道が悪い。昼から隣にかもじ[#「かもじ」に傍点]屋さんが店を出した。場銭《ばせん》が二銭上ったと云ってこぼしていた。昼はうどんを二杯たべる。(十六銭也)学生が、一人で五ツも品物を買って行ってくれた。今日は早くしまって芝へ仕入れに行って来ようと思う。帰りに鯛焼《たいやき》を十銭買った。

「安さんがお前、電車にしかれて、あぶないちゅうが……」
 帰ると、母は寝床の中からこう云った。私は荷物を背負ったまま呆然としてしまった。昼過ぎ、安さんの家の者が知らせに来たのだと、母は書きつけた病院のあて名の紙をさがしていた。
 夜、芝の安さんの家へ行く。若いお上さんが、眼を泣き腫《は》らして病院から帰って来たところだった。少しばかり出来上っている品物をもらってお金を置いて帰る。世の中は、よくもよくもこんなにひび[#「ひび」に傍点]だらけになっているものだと思う。昨日まで、元気にミシンのペタルを押していた安さん夫婦を想い出すなり。春だと云うのに、桜が咲いたと云うのに、私は電車の窓に凭《もた》れて、赤坂のお濠《ほり》の燈火をいつまでも眺めていた。

(四月×日)
 父より長い音信が来る。長雨で、飢えにひとしい生活をしていると云う。花壺へ貯めていた十四円の金を、お母さんが皆送ってくれと云うので為替にして急いで送った。明日は明日の風が吹くだろう。安さんが死んでから、あんなに軽便な猿股も出来なくなってしまった。もう疲れきった私達は、何もかもがメンドくさくなってしまっている。
 十四円九州へ送った。
「わし達ゃ三畳でよかけん、六畳は誰ぞに貸さんかい。」
 かしま、かしま、かしま、私はとても嬉しくなって、子供のように紙にかしまと書き散らすと、鳴子坂《なるこざか》の通りへそれを張りに出て行った。寝ても覚めても、結局は死んでしまいたい事に話が落ちるけれど、なにくそ! たまには米の五升も買いたいものだと笑う。お母さんは近所の洗い張りでもしようかと云うし、私は女給と芸者の広告がこのごろめについて仕方がない。縁側に腰をかけて日向《ひなた》ぼっこをしていると、黒い土の上から、モヤモヤとかげろうがのぼっている。もうじき五月だ。私の生れた五月だ。歪んだガラス戸に洗った小切れをベタベタ張っていたお母さんは、フッと思い出した様に云った。
「来年はお前の運勢はよかぞな、今年はお前もお父さんも八方|塞《ふさが》りだからね……」
 明日から、この八方塞りはどうしてゆくつもりか! 運勢もへちまもあったものじゃない。次から次から悪運のつながりではありませんかお母さん!
 腰巻も買いたし。

(五月×日)
 家のかしまはあまり汚ない家なので誰もまだ借りに来ない。お母さんは八百屋が貸してくれたと云って大きなキャベツを買って来た。キャベツを見るとフクフクと湯気の立つ豚カツでもかぶりつきたいと思う。がらんとした部屋の中で、寝ころんで天井を見ていると、鼠のように、小さくなって、色んなものを食い破って歩いたらユカイだろうと思った。夜、風呂屋で母が聞いて来たと云って、派出婦にでもなったらどんなものかと相談していた。それもいいかも知れないけれど、根が野性の私である。金持ちの家風にペコペコ頭をさげる事は、腹を切るより切ない事だ。母の侘《わび》し気な顔を見ていたら、涙がむしょうにあふれてきた。
 腹がへっても[#「腹がへっても」に傍点]、ひもじゅうない[#「ひもじゅうない」に傍点]とかぶりを振っている時ではないのだ。明日から、今から飢えて行く私達なのである。あああの十四円は九州へとどいたかしら。東京が厭《いや》になった。早くお父さんが金持ちになってくれるといい。九州もいいな、四国もいいな。夜更け、母が鉛筆をなめなめお父さんにたより[#「たより」に傍点]を書いているのを見て、誰かこんな体でも買ってくれるような人はないかと思ったりした。

(五月×日)
 朝起きたらもう下駄が洗ってあった。
 いとしいお母さん! 大久保百人町の派出婦会に行ってみる。中年の女の人が二人、店の間で縫いものをしていた。人がたりなかったのであろうか、そこの主人は、添書のようなものと地図を私にくれた。行く先の私の仕事は、薬学生の助手だと云うことである。――道を歩いている時が、私は一番愉しい。五月の埃《ほこり》をあびて、新宿の陸橋をわたって、市電に乗ると、街の風景が、まことに天下タイヘイ[#「タイヘイ」に傍点]にござ候と旗をたてているように見えた。この街を見ていると苦しい事件なんか何もないようだ。買いたいものが何でもぶらさがっている。私は桃割れの髪をかしげて電車のガラス窓で直した。本村町《ほんむらちょう》で降りると、邸町になった路地の奥にそのうちがあった。
「御めん下さい!」
 大きな家だな、こんな大きい家の助手になれるかしら……、戸口で私は何度かかえろうと思いながらぼんやり立っていた。
「貴女、派出婦さん! 派出婦会から、さっき出たって電話がかかって来たのに、おそいので坊ちゃん怒ってらっしゃるわ。」
 私が通されたのは、洋風なせまい応接室だった。壁には、色褪《いろあ》せたミレーの晩鐘の口絵が張ってあった。面白くもない部屋だ。腰掛けは得たいが知れない程ブクブクして柔かである。
「お待たせしました。」
 何でもこのひとの父親は日本橋で薬屋をしているとかで、私の仕事は薬見本の整理でわけのない仕事だそうだ。
「でもそのうち、僕の仕事が忙しくなると清書してもらいたいのですがね、それに一週間程したら、三浦三崎の方へ研究に行くんですが、来てくれますか。」
 この男は二十四五位かとも思う。私は若い男の年がちっとも判らないので、じっと背の高いその人の顔を見ていた。
「いっそ派出婦の方を止《よ》して、毎日来ませんか。」
 私も、派出婦のようないかにも品物みたいな感じのするところよりその方がいいと思ったので、一カ月三十五円で約束をしてしまった。紅茶と、洋菓子が出たけれど、まるで、日曜の教会に行ったような少女の日を思い出させた。
「君はいくつですか?」
「二十一です。」
「もう肩上げをおろした方がいいな。」
 私は顔が熱くなっていた。三十五円毎月つづくといいと思う。だがこれもまた信じられはしない。――家へ帰ると、母は、岡山の祖母がキトクだと云う電報を手にしていた。私にも母にも縁のないお祖母《ばあ》さんだけれどたった一人の義父の母だったし、田舎でさなだ[#「さなだ」に傍点]帯の工場に通っているこのお祖母さんが、キトクだと云うことは可哀想だった。どんなにしても行かなくてはならないと思う。九州の父へは、四五日前に金を送ったばかりだし、今日行ったところへ金を借りに行くのも厚かましいし、私は母と一緒に、四月もためているのに家主のところへ相談に行ってみた。十円かりて来る。沢山利子をつけて返そうと思う。残りの御飯を弁当にして風呂敷に包んだ。――一人旅の夜汽車は侘しいものだ。まして年をとっているし、ささくれた身なりのままで、父の国へやりたくないけれど、二人共絶体絶命のどんづまり故、沈黙《だま》って汽車に乗るより仕方がない。岡山まで切符を買ってやる。薄い灯の下に、下関行きの急行列車が沢山の見送り人を呑みこんでいた。
「四五日内には、前借りをしますから、そしたら、送りますよ。しっかりして行っていらっしゃい。しょぼしょぼしたら馬鹿ですよ。」
 母は子供のように涙をこぼしていた。
「馬鹿ね、汽車賃は、どんな事をしても送りますから、安心してお祖母さんのお世話をしていらっしゃい。」
 汽車が出てしまうと、何でもなかった事が急に悲しく切なくなって、目がぐるぐるまいそうだった。省線をやめて東京駅の前の広場へ出て行った。長い事クリームを顔へ塗らないので、顔の皮膚がヒリヒリしている。涙がまるで馬鹿のように流れている。信ずる者よ来れ主《しゅ》のみもと……遠くで救世軍の楽隊が聞えていた。何が信ずるものでござんすかだ。自分の事が信じられなくてたとえイエスであろうと、お釈迦《しゃか》さまであろうと、貧しい者は信ずるヨユウ[#「ヨユウ」に傍点]なんかないのだ。宗教なんて何だろう! 食う事にも困らないものだから、あの人達は街にジンタまで流している。信ずる者よ来れか……。あんな陰気な歌なんか真平だ。まだ気のきいた春の唄があるなり。いっそ、銀座あたりの美しい街で、こなごなに血へどを吐いて、華族さんの自動車にでもしかれてしまいたいと思う。いとしいお母さん、今、貴女は戸塚、藤沢あたりですか、三等車の隅っこで何を考えています。どの辺を通っています……。三十五円が続くといいな。お濠には、帝劇の灯がキラキラしていた。私は汽車の走っている線路のけしきを空想していた。何もかも何もかもあたりはじっとしている。天下タイヘイで御座候だ。

        *

(十一月×日)
 浮世離れて奥山ずまい、こんなヒゾク[#「ヒゾク」に傍点]な唄にかこまれて、私は毎日|玩具《おもちゃ》のセルロイドの色塗りに通っている。日給は七十五銭也の女工さんになって今日で四カ月、私が色塗りをした蝶々のお垂《さ》げ止めは、懐かしいスヴニールとなって、今頃はどこへ散乱して行っていることだろう――。日暮里《にっぽり》の金杉《かなすぎ》から来ているお千代さんは、お父つぁんが寄席の三味線ひきで、妹弟六人の裏家住いだそうだ。「私とお父つぁんとで働かなきゃあ、食えないんですもの……」お千代さんは蒼白《あおじろ》い顔をかしげて、侘しそうに赤い絵具をベタベタ蝶々に塗っている。ここは、女工が二十人、男工が十五人の小さなセルロイド工場で、鉛のように生気のない女工さんの手から、キュウピーがおどけていたり、夜店物のお垂げ止めや、前芯《まえしん》帯や、様々な下層階級相手の粗製品が、毎日毎日私達の手から洪水の如く市場へ流れてゆくのだ。朝の七時から、夕方の五時まで、私達の周囲は、ゆでイカ[#「ゆでイカ」に傍点]のような色をしたセルロイドの蝶々や、キュウピーでいっぱいだ。文字通り護謨臭い、それ等の製品に埋れて仕事が済むまで、私達はめったに首をあげて窓も見られないような状態である。事務所の会計の細君が、私達の疲れたところを見計らっては、皮肉に油をさしに来る。
「急いでくれなくちゃ困るよ。」
 フンお前も私達と同じ女工上りじゃないか、「俺達ゃ機械じゃねえんだよっ。」発送部の男達がその女が来ると、舌を出して笑いあっていた。五時になると、二十分は私達の労力のおまけだった。日給袋のはいった笊《ざる》が廻って来ると、私達はしばらくは、激しい争奪戦《そうとう》を開始して、自分の日給袋を見つけ出す。――夕方、襷《たすき》を掛けたまま工場の門を出ると、お千代さんが、後から追って来た。
「あんた、今日市場へ寄らないの、私今晩のおかずを買って行くのよ……」
 一皿八銭の秋刀魚《さんま》は、その青く光った油と一緒に、私とお千代さんの両手にかかえられて、サンゼンと生臭い匂いを二人の胃袋に通わせてくれるのだ。
「この道を歩いている時だけ、あんた、楽しいと思った事ない?」
「本当にね、私|吻《ほっ》とするのよ。」
「ああ、でもあんたは一人だからうらやましいと思うわ。」
 美しいお千代さんの束ねた髪に、白く埃がつも[#「つも」に傍点]っているのを見ると、街の華やかな、一切のものに、私は火をつけてやりたいようなコウフンを感じてくる。

(十一月×日)
 なぜ?
 なぜ?
 私達はいつまでもこんな馬鹿な生き方をしなければならないのだろうか? いつまでたっても、セルロイドの匂いに、セルロイドの生活だ。朝も晩も、ベタベタ三原色を塗りたくって、地虫のように、太陽から隔離された歪《ゆが》んだ工場の中で、コツコツ無限に長い時間と青春と健康を搾取されている。若い女達の顔を見ていると、私はジンと悲しくなってしまう。
 だが待って下さい。私達のつくっている、キュウピーや蝶々のお垂げ止めが、貧しい子供達の頭をお祭のように飾る事を思えば、少し
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