しょう。」
その後銀座の方に働いていたと云うお君さんには若い学生の恋人が出来ていた。
「私はいよいよ決心したのよ、今晩これから一寸遠くへ都落ちするつもりで、実は貴女の顔を見に来たの。」
こんなにも純情なお君さんがうらやましくて仕方がない。何もかも振り捨てて私は生れて初めて恋らしい恋をしたのだわ。ともお君さんは云うなり。
「子供も捨てて行くの?」
「それが一番身に堪《こた》えるんだけれども、もうそんな事を言ってはおられなくなってしまったのよ。子供の事を思うと空おそろしくなるけれど、私とても、とても勝てなくなってしまったの。」
お君さんの新らしい男の人は、あんまり豊かでもなさそうだったけれど、若者の持つりりしい強さが、あたりを圧していた。
「貴女も早く女給なんてお止《よ》しなさい、ろくな仕事じゃアありませんよ。」
私は笑っていた。お君さんのように何もかも捨てさる情熱があったならば、こんなに一人で苦しみはしないとおもう。お君さんのお養母さんと、御亭主とじゃ、私のお母さんの美しさはヒカクになりません。どんなに私の思想の入れられないカクメイが来ようとも、千万人の人が私に矢をむけようとも、私は母の思想に生きるのです。貴方達は貴方達の道を行って下さい。私はありったけの財布をはたいて、この勇ましく都落ちする二人に祝ってあげたい。私のゼッタイのものが母であるように、お君さんの唯一の坊やを、私は蔭で見てやってもいいと思えた。
街では星をいっぱい浴びて、ラジオがセレナーデを唄っている。
私の袂《たもと》には、エプロンがまるまってはいっている。
夜の曲。都会の夜の曲。メカニズム化したセレナーデよ、あんなに美しい唄を、ラジオは活字のように街の空で唸《うな》っている。騒音化した夜の曲。人間がキカイに食われる時代、私は煙草屋のウインドウの前で白と赤のマントを拡げたマドリガルと云う煙草が買いたかったのだ。すばらしい享楽、すばらしい溺酔《できすい》、マドリガルの甘いエクスタシイ、嘘でも言わなければこの世の中は馬鹿らしくって歩けないじゃありませんか――。さあ、みんなみんな、私は何でもかでもほしいんですよ。
時ちゃんは文学書生とけんかをしていた。
「何だいドテカボチャ、ひやけの茄子《なす》! もう五十銭たしゃ横町へ行けるじゃあないか!」
酔っぱらった文学書生がキスを盗んだというので、時ちゃんが、ソーダ水でジュウジュウ口をすすぎながら呶鳴《どな》っていた。お上さんは病気で二階に寝ている。何時《いつ》も女給達の生血を絞っているからろくな事がないのよ。しょっちゅう病気してるじゃないの……こう言ってお由さんはお上さんの病気を気味良がっていた。
(六月×日)
お上さんはいよいよ入院してしまった。出前持ちのカンちゃんが病院へ行って帰ってこないので、時ちゃんが自転車で出前を持って行く。べらぼうな時ちゃんの自転車乗りの姿を見ていると、涙が出る程おかしかった。とにかく、この女は自分の美しさをよく知っているからとても面白い。――夕方風呂から帰って着物をきかえていると、素硝子の一番てっぺんに星が一つチカチカ光っていた。ああ久しく私は夜明けと云うものを見ないけれど、田舎の朝空がみたいものだ。表に盛塩《もりじお》してレコードをかけていると、風呂から女達が順々に帰って来る。
「もうそろそろ自称飛行家が来る頃じゃないの……」
この自称飛行家は奇妙な事に支那そば一杯と、老酒《ラオチュー》いっぱいで四五時間も駄法螺《だぼら》を吹いて一円のチップをおいて帰って行く。別に御しゅうしんの女もなさそうだ。
三番目。
私の番に五人連のトルコ人がはいって来た。ビールを一ダース持って来させると、順々に抜いてカンパイしてゆくあざやかな呑みぶりである。白い風呂敷包みの中から、まるでトランクのように大きい風琴《ふうきん》を出すと、風琴の紐《ひも》を肩にかけて鳴らし出す。秋の山の風でも聞いているような、風琴の音色、皆珍らしがってみていた。ボクノヨブコエワスレタカ。何だと思ったらかごの鳥の唄だった。帽子の下に、もう一つトルコ帽をかぶって、仲々意気な姿だった。
「ニカイ アガリマショウ。」
若いトルコ人が私をひざに抱くと、二階をさかんに指差している。
「ニカイノ アルトコロコノヨコチョウデス。」
「ヨコチョウ? ワカラナイ。」
私達を淫売婦とでもまちがえているらしい。
「ワタシタチ トケイヤ。」
若いのが遠い国で写したのか、珍らしい樹の下で写した小さい写真を一枚ずつくれるなり。
「ニカイ アガリマショウ、ワタシ アヤシクナイ。」
「ニカイアリマセン。ミンナ カヨイデス。」
「ニカイ アリマセン?」
またビール一ダースの追加、一人がコールドビーフを註文《ちゅうもん》すると、お由さんが気に入っていたのか、何かしきりに皿を指さしている。
「困ったわ、私英語なんか知らないんですもの、ゆみちゃん何を言ってんのか聞いてみてよ……」
「あの、飛行機屋さんにおききなさいよ、知ってるかも知れないわ。」
「冗談じゃない、発音がちがうから判らないよ。」
「あら飛行機屋さんにも判らないの、困っちゃうわね。」
「ソースじゃなさそうね。」
何だか辛子《からし》のようにも思えるんだけれど、生憎《あいにく》、からしかと訊《き》く事を知らない私は、
「エロウ・パウダ?」
顔から火の出る思いで聞いてみた。
「オオエス! エス!」
辛子をキュウキュウこねて持って行くと、みんな手の指を鳴らして喜んでいた。
自称飛行家はコソコソ帰っていった。
「トルコの天子さん何て言うの?」
時ちゃんが、エロウ・パウダ氏にもたれて聞いている。
「テンシサンなんて判るもんですか。」
「そう、私はこの人好きだけど通じなきゃ仕方がないわ。」
酒がまわったのか、風琴は遠い郷愁を鳴らしている。ニカイ アガリマショウの男は、盛んに私にウインクしていた。日本人とよく似た人種だと思う、トルコってどんなところだろう。私は笑いながら聞いた。
「アンタの名前、ケマルパシャ?」
五人のトルコ人は皆で私にエスエスと首を振っていた。
*
(九月×日)
古い時間表をめくってみた。どっか遠い旅に出たいものだと思う。真実のない東京にみきりをつけて、山か海かの自然な息を吸いに出たいものなり。私が青い時間表の地図からひらった土地は、日本海に面した直江津《なおえつ》と云う小さい小港だった。ああ海と港の旅情、こんな処へ行ってみたいと思う。これだけでも、傷ついた私を慰めてくれるに違いない。だけど今どき慰めなんて言葉は必要じゃない。死んでは困る私、生きていても困る私、酌婦にでもなんでもなってお母さん達が幸福になるような金がほしいのだ。なまじっかガンジョウな血の多い体が、色んな野心をおこします。ほんとに金がほしいのだ!
富士山――暴風雨
停車場の待合所の白い紙に、いま富士山は大あれだと書いてある。フン! あんなものなんか荒れたってかまいはしない。風呂敷包み一つの私が、上野から信越線に乗ると、朝の窓の風景は、いつの間にか茫々とした秋の景色だった。あたりはすっかり秋になっている。窓を区切ってゆく、玉蜀黍《とうもろこし》の葉は、骨のようにすがれてしまっていた。人生はすべて秋風万里、信じられないものばかりが濁流のように氾濫《はんらん》している。爪の垢《あか》ほどにも価しない私が、いま汽車に乗って、当もなくうらぶれた旅をしている。私は妙に旅愁を感じると瞼《まぶた》が熱くふくらがって来た。便所臭い三等車の隅ッこに、銀杏返《いちょうがえ》しの鬢《びん》をくっつけるようにして、私はぼんやりと、山へはいって行く汽車にゆられていた。
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古里の厩《うまや》は遠く去った
花がみんなひらいた月夜
港まで走りつづけた私であった
朧《おぼろ》な月の光りと赤い放浪記よ
首にぐるぐる白い首巻をまいて
汽船を恋した私だった。
[#ここで字下げ終わり]
一切合切が、何時も風呂敷包み一つの私である。私は心に気弱な熱いものを感じながら、古い詩稿や、放浪日記を風呂敷包みから出しては読みかえしてみた。体が動いているせいか、瞼の裏に熱いものがこみあげて来ても、詩や日記からは、何もこみ上げて来る情熱がこない。たったこれだけの事だったのかと思う。馬鹿らしい事ばかりを書きつぶして溺《おぼ》れている私です。
汽車が高崎に着くと、私の周囲の空席に、旅まわりの芸人風な男女が四人で席を取った。私はボンヤリ彼等を見ていた。彼達は、私とあまり大差のないみすぼらしい姿である。上の網棚には、木綿の縞の風呂敷でくるんだ古ぼけた三味線と、煤《すす》けたバスケットが一つ、彼達の晒された生活を物語っていた。
「姐御《あねご》はこっちに腰掛けたら……」
同勢四人の中の、たった一人の女である姐御と呼ばれた彼女は、つぶしたような丸髷《まるまげ》に疲れた浴衣である。もう三十二三にはなっているのだろう、着崩れた着物の下から、何か仇《あだ》めいた匂いがして窶《やつ》れた河合武雄と云ってもみたい女だった。その女と並んで、私の向う横に腰かけたつれの男は額がとても白い。紺縮みの着物に、手拭のように細いくたびれた帯をくるくる巻いて、かんしょうに爪をよく噛《か》んでいた。
「ああとてもひでえ目にあったぜ。」
目玉のグリグリした小さい方が、ひとわたり周囲をみまわして大きい方につぶやくと、汽車は逆もどりしながら、横川の駅に近くなった。この芸人達は、寄席芸人の一行らしいのだ。向うの男と女は、時々思い出したようにボソボソ話しあっていた。「アレ! 何だね、俺ァ気味が悪いでッ。」突然トンキョウな声がおこると、田舎者らしい子供連れのお上さんが、網棚の上を見上げた。お上さんの目を追うと、芸人達の持ちものである網棚のバスケットから、黒ずんだ赤い血のようなものがボトボトしたたりこぼれていた。
「血じゃねえかね!」
「旅のお方! お前さんのバスケットじゃねえかね。」
背中あわせの、芸人の男女に、田舎女の亭主らしいのが、大きい声で呶鳴《どな》ると、ボンヤリと当もなく窓を見ていた男と女は、あたふたと、恐れ入りながら、バスケットを降ろして蓋をあけている。――ここにもこれだけの生活がある。私は頬の上に何か血の気の去るのを感じる思いだった。そのバスケットの中には、ふちのかけた茶碗や、朱のはげた鏡や、白粉《おしろい》や櫛《くし》や、ソースびんが雑然と入れてあった。
「ソースの栓が抜けたんですわ……」
女はそう一人ごとを言いながら、自分の白い手の甲にみみずのように流れているソースの滴をなめた。その侘し気なバスケット物語が、トヤについたこの人達の幾日かの生活をものがたっている。女のひとはバスケットを棚へ上げると、あとは又汽車の轟々《ごうごう》たる音である。私の前の弟子らしい男達は、眠ったような顔をしていた。
「ああ俺アつまらねえ、東京へ帰って、いまさんの座にでもへえりていや、いつまでこうしてたって、寒くなるんだしなア……」
弟子たちのこの話が耳にはいったのか、紺縮みの男は、キラリと眼をそらすと、
「オイ! たんちゃん、横川へついたら、電報一ツたのんだぜ。」
と、云った。四人共白けている。夫婦でもなさそうな二人のものの言いぶりに、私はこの男と女が妙に胸に残っていた。
夜。
直江津の駅についた。土間の上に古びたまま建っているような港の駅なり。火のつきそめた駅の前の広場には、水色に塗った板造りの西洋建ての旅館がある。その旅館の横を切って、軒の出っぱった煤けた街が見えている。嵐もよいの湫々《しゅうしゅう》とした潮風が強く吹いていて、あんなにあこがれて来た私の港の夢はこっぱみじんに叩きこわされてしまった。こんなところも各自の生活で忙がしそうだ。仕方がないので私は駅の前の旅館へひきかえす。硝子戸に、いかやと書いてあった。
(九月×日)
階下の廊下では、そうぞうしく小学生の修学旅行の群がさわいでいた。
洗面所で顔を洗っていると、
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