日)
 前の屍室《ししつ》には、今夜は青い灯がついている。又兵隊が一人死んだのだろう。青い窓の灯を横ぎって通夜をする兵隊の影が二ツぼんやりうつっている。
「あら! 螢《ほたる》が飛んどる。」
 井戸端で黒島|伝治《でんじ》さんの細君がぼんやり空を見上げていた。
「ほんとう?」
 寝そべっていた私も縁端に出てみたけれど、もう螢も何も見えなかった。
 夜。隣の壺井夫婦、黒島夫婦遊びに見える。
 壺井さん曰《いわ》く。
「今日はとても面白かったよ。黒島君と二人で市場へ盥《たらい》を買いに行ったら、金も払わないのに、三円いくらのつり[#「つり」に傍点]銭と盥をくれて一寸ドキッとしたぜ。」
「まあ! それはうらやましい、たしか、クヌウト・ハムスンの『飢え』と云う小説の中にも蝋燭《ろうそく》を買いに行って、五クローネルのつり銭と蝋燭をただでもらって来るところがありましたね。」
 私も夫も、壺井さんの話は一寸うらやましかった。――泥沼に浮いた船のように、何と淋しい私達の長屋だろう。兵営の屍室と墓地と病院と、安カフエーに囲まれたこの太子堂の暗い家もあきあきしてしまった。
「時に、明日はたけのこ飯にしな
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