う一時近くで、店の時計がおくれていたのか、市電はとっくになかった。神田から田端《たばた》までの路《みち》のりを思うと、私はがっかりして坐ってしまいたい程悲しかった。街の燈はまるで狐火のように一つ一つ消えてゆく。仕方なく歩き出した私の目にも段々心細くうつって来る。上野公園下まで来ると、どうにも動けない程、山下が恐ろしくて、私は棒立ちになってしまった。雨気を含んだ風が吹いていて、日本髪の両鬢《りょうびん》を鳥のように羽ばたかして、私は明滅する仁丹の広告燈にみいっていた。どんな人でもいいから、道連れになってくれる人はないかと私はぼんやり広小路の方を見ていた。
こんなにも辛い思いをして、私はあのひとに真実をつくさなければならないのだろうか? 不意にハッピを着て自転車に乗った人が、さっと煙のように目の前を過ぎて行った。何もかも投げ出したいような気持ちで走って行きながら、「貴方は八重垣町の方へいらっしゃるんじゃあないですかッ!」と私は大きい声でたずねてみた。
「ええそうです。」
「すみませんが田端まで帰るんですけれど、貴方のお出でになるところまで道連れになって戴《いただ》けませんでしょうか?」
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