じゃく」に傍点]がどっかで哄笑《わら》っている、私は悲しくなってくると、足の裏が痒《か》ゆくなるのだ。一人でしゃべっている男のそばで、私はそっと、月に鏡をかたぶけて見た。眉を濃く引いた私の顔が渦のようにぐるぐる廻ってゆく、世界中が月夜のような明るさだったらいいだろう――。
「何だか一人でいたくなったの……もうどうなってもいいから一人で暮したい。」
 男は我にかえったように、太い息を切ると涙をふりちぎって、別れと云う言葉の持つ淋しい言葉に涙を流して私を抱こうとしている。これも他愛のないお芝居なのか、さあこれから忙しくなるぞ、私は男を二階に振り捨てると、動坂《どうざか》の町へ出て行った。誰も彼も握手をしましょう、ワンタンの屋台に首をつっこんで、まず支那酒をかたぶけて、私は味気ない男の旅愁を吐き捨てた。

(四月×日)
 街の四ツ角で、まるで他人よりも冷やかに、私も男も別れてしまった。男は市民座と云う小さい素人劇団をつくっていて、滝ノ川の稽古場に毎日通っているのだ。

 私も今日から通いでお勤めだ。男に食わしてもらう事は、泥を噛んでいるよりも辛いことです。体《てい》のいい仕事よりもと、私のさ
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