ちついたのが七月で、父達は相変らず、私を宿に置きっぱなしにすると、荷車を借りて、メリヤス類、足袋、新モス、腹巻、そういった物を行李《こうり》に入れて、母が後押しで炭坑や陶器製造所へ行商に行っていた。
 私には初めての見知らぬ土地であった。私は三銭の小遣いを貰い、それを兵児帯《へこおび》に巻いて、毎日町に遊びに出ていた。門司のように活気のある街でもない。長崎のように美しい街でもない。佐世保のように女のひとが美しい町でもなかった。骸炭《がいたん》のザクザクした道をはさんで、煤けた軒が不透明なあくびをしているような町だった。駄菓子屋、うどんや、屑屋《くずや》、貸蒲団屋、まるで荷物列車のような町だ。その店先きには、町を歩いている女とは正反対の、これは又不健康な女達が、尖《とが》った目をして歩いていた。七月の暑い陽ざしの下を通る女は、汚れた腰巻と、袖のない襦袢《じゅばん》きりである。夕方になると、シャベルを持った女や、空のモッコをぶらさげた女の群が、三々五々しゃべくりながら長屋へ帰って行った。
 流行歌のおいとこそうだよ[#「おいとこそうだよ」に傍点]の唄が流行《はや》っていた。

 私の三銭の
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