い山河も知らないで、義父と母に連れられて、九州一円を転々と行商をしてまわっていたのである。私がはじめて小学校へはいったのは長崎であった。ざっこく[#「ざっこく」に傍点]屋と云う木賃宿から、その頃流行のモスリンの改良服と云うのをきせられて、南京《ナンキン》町近くの小学校へ通って行った。それを振り出しにして、佐世保、久留米、下関、門司、戸畑、折尾《おりお》と言った順に、四年の間に、七度も学校をかわって、私には親しい友達が一人も出来なかった。
「お父つぁん、俺アもう、学校さ行きとうなかバイ……」
せっぱつまった思いで、私は小学校をやめてしまったのだ。私は学校へ行くのが厭《いや》になっていたのだ。それは丁度、直方《のうがた》の炭坑町に住んでいた私の十二の時であったろう。「ふうちゃんにも、何か売らせましょうたいなあ……」遊ばせてはモッタイナイ[#「モッタイナイ」に傍点]年頃であった。私は学校をやめて行商をするようになったのだ。
直方の町は明けても暮れても煤《すす》けて暗い空であった。砂で漉《こ》した鉄分の多い水で舌がよれるような町であった。大正町の馬屋[#「馬屋」に傍点]と云う木賃宿に落
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