私は母の思想に生きるのです。貴方達は貴方達の道を行って下さい。私はありったけの財布をはたいて、この勇ましく都落ちする二人に祝ってあげたい。私のゼッタイのものが母であるように、お君さんの唯一の坊やを、私は蔭で見てやってもいいと思えた。
 街では星をいっぱい浴びて、ラジオがセレナーデを唄っている。
 私の袂《たもと》には、エプロンがまるまってはいっている。
 夜の曲。都会の夜の曲。メカニズム化したセレナーデよ、あんなに美しい唄を、ラジオは活字のように街の空で唸《うな》っている。騒音化した夜の曲。人間がキカイに食われる時代、私は煙草屋のウインドウの前で白と赤のマントを拡げたマドリガルと云う煙草が買いたかったのだ。すばらしい享楽、すばらしい溺酔《できすい》、マドリガルの甘いエクスタシイ、嘘でも言わなければこの世の中は馬鹿らしくって歩けないじゃありませんか――。さあ、みんなみんな、私は何でもかでもほしいんですよ。

 時ちゃんは文学書生とけんかをしていた。
「何だいドテカボチャ、ひやけの茄子《なす》! もう五十銭たしゃ横町へ行けるじゃあないか!」
 酔っぱらった文学書生がキスを盗んだというので、
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