に幾度も梯子《はしご》段を上ったり降りたりしている。まるで二十日鼠のようだ。あの神経には全くやりきれない。
「チャンチンコイチャン! よく眠ったかい!」
私の肩を覗《のぞ》いては、先生は安心をしたようにじんじんばしょり[#「じんじんばしょり」に傍点]をして二階へ上って行く。
私は廊下の本箱から、今日はチエホフを引っぱり出して読んだ。チエホフは心の古里だ。チエホフの吐息は、姿は、みな生きて、黄昏《たそがれ》の私の心に、何かブツブツものを言いかけて来る。柔かい本の手ざわり、ここの先生の小説を読んでいると、もう一度チエホフを読んでもいいのにと思った。京都のお女郎の話なんか、私には縁遠い世界だ。
夜。
家政婦のお菊さんが、台所で美味《おい》しそうな五目寿司を拵《こしら》えているのを見てとても嬉しくなった。
赤ん坊を風呂に入れて、ひとしずまりすると、もう十一時である。私は赤ん坊と云うものが大嫌いなのだけれど、不思議な事に、赤ん坊は私の背中におぶさると、すぐウトウトと眠ってしまって、家の人達が珍らしがっている。
お蔭《かげ》で本が読めること――。年を取って子供が出来ると、仕事も手につか
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