派すぎた。今度も、税金の値上げだったけれども、「年収四千円はありますでしょう」と云われたのは誰のことかと吃驚《びっくり》してしまった。よく運んで二百円、悪くいって九拾円、平均百五拾円あったら、ナムアミダブツと月の瀬を越すことが出来る。
「吉屋信子《よしやのぶこ》さんの税金は下手な実業家以上です」と、税務所のお役人が云われたけれども、私は吃驚しているきりで何とも話しようがなかった。一、二枚のものを書いても林芙美子だし、かりそめに、ゴシップに林芙美子の名前が出ていても、それをいっしょくたにしてあれこれ云われるのでは立つ瀬がないから、「どうぞ雑誌社や新聞社で、私が稿料をいったいいくら貰っているかきいてみて下さい」と云うより仕方がない。吉屋さんは先輩でブンヤも違う。「あなたは文学はお好きでいらっしゃいますか」とたずねると、お役人は、学生の頃はそれでもちょいちょい読みましたが、いまは法律をやっていますと云うことだった。感じのいいお役人であったが、年収四千円は困ったことだと思った。純文学をやっているひとって、案外、派手のようだけれど貧乏で、月五拾円あるひとは、新進作家の方でしょうと云うと、そうですかねえと感心していた。
「その純文学の方は誰が一番収入があるのでしょう」
そんなことも訊かれたが、たいてい名前は派手でも、私と似たりよったりでしょうと威張って云うより仕方がない。――十年前から一度も値上げにならない原稿料で、私は割合平気でしし[#「しし」に傍点]としている。税金も、吉屋さん位になりたいのは山々だけれども、これは生れかわって来ないことには、とうてい駄目なことだろう。「だって朝日新聞にお書きになったでしょう」とも、話が出たが、一万円とまちがわれたのでは浮ぶ瀬もないと思った。二十七回書いても新聞小説だし、二百回書いても新聞小説なのだから困ってしまう。一日胸がどきどきして困った。女学校へやっている姪《めい》の顔を見ても腹がたって、「税金が増えるのよ、怖かないか」と云うと、怖いと同情してくれた。
「いったい、税金って何に使うか知ってる?」と十五歳の姪に尋ねると、「ほら、大名《だいみょう》旅行ってあるじゃない、あんなのじゃないの」と云う答えだった。そうかなアと思った。
――私は、草花が大好き、花ならば何でもいい。冬の剪花は、手入れがいいので三週間位もたせる[#「もたせる」に傍点]事がある。花は枯れてからも風情《ふぜい》のあるもので、曾宮一念《そみやいちねん》氏が、よく枯れた花を描かれるけれども、枯れた花の美しさは、仄々《ほのぼの》としていて旅愁がある。女の枯れたのも、こんなに風情があるといいなと思う。私は三十二歳になったけれども、同年輩の男の友人たちは、みずみずしくってまだ青年だ。武田麟太郎《たけだりんたろう》さん、堀辰雄《ほりたつお》さん、永井龍男《ながいたつお》さん、いずれも花菖蒲《はなあやめ》だ。だけど、女の青春はどうも短かすぎる。――いま、せまい私の机の上に、小さいコップが乗っている。マアガレットや、菜の花や、矢車草や、カアネイションが一本ずつ差してあるが、それに灯火《あかり》のあたっている風情は、花って本当に美しいものだと見とれてしまう。今度生れかわる時は花になって来たいものだ。花だったら三白草《どくだみ》だっていい。
花が好き、その他には、一ヶ月のうち二、三度は汽車へ乗っている。旅が好きで仕方がない。旅の遠さは平気で、歩くことがとても愉しい。この一月は志賀高原へスキーに行った。丸山ヒュッテに泊ったが、幸い紅一点で、雪の山上で私はまるで少女のようにのびのびとしていた。スキーは下手だけれども、暴力的なあの雪を蹴ってゆく気持ちが好きだ。自然と自分とに距離がなくなる。十二沢のゲレンデで、私位よく、勇ましく転んだ者はないと云うことであった。温泉へ這入《はい》ると、躯じゅう青や紫のあざ[#「あざ」に傍点]だらけになっていて、さすがに転びスキーがはずかしかった。
二月は、伊豆の古奈《こな》へ行った。丹那《たんな》トンネルは初めてなので、熱海《あたみ》を出るときから嬉しくて仕方がなかった。八分位かかると聞いたけれども、随分ながいトンネルのような気がした。
熱海の海の色は、ナポリみたいな色をしている。温くて呆んやりしていて、磯《いそ》はマチスの絵にあるような渚《なぎさ》だ。――古奈では白石館と云うのに泊った。ここでは芸者が一時間壱円で、淋しかったのでてるは[#「てるは」に傍点]と云うひとに三時間ほどいて貰った。
三月は上州《じょうしゅう》の方へ行って見たい。旅をしていると、生れて来た幸せを感じるほどだ。家人は、弁当が食べたいからだろうと云う。私は汽車へ乗ると弁当をよく買う。木の匂いがして御飯もおかずもおいしい。汽車へ乗っていると、日頃の倦
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