は遠い時計の方を白々と見るより仕方がなかった。
「おいッ!」
 与一はもうキャラメルを一ツむいて、頬ばったらしく、口をもぐもぐさせて私を呼んだ。
「何?」
「キャラメル一ツやろう」
 誰も私達の方を向いてはいなかった。与一の座席は洗面所と背中合せなので気楽に足を投げ出して行けるだろう。与一は思い出したように指を折って、「三七、二十一日もかかるンかね」一人で呟《つぶや》いてうんざりしたかの風であった。
「誰も見てくれるもンが無いンだから、病気をせんように、気をつけるンだぞ」
 私は汽車が早く出てくれるといいと念じた。焦々した五分間であった。その辛《つら》い気持ちをお互《たが》いにざっくばらんにいえないだけに、余計焦々して私はピントを合せるのに、微笑の顔が歪《ゆが》みそうであった。

     十二

 一人になったせいであろう。昼間でも台所の部屋などは、ゴソゴソと穴蔵|蛩《こおろぎ》が幾つも飛んでいた。与一が出発して九日になる。山から来た最初の絵葉書には、汽車が着いて、谷間の町の中を、しかも、夜更けて宿を探すに厭な思いをしたと書いてあった。
 第二番目の葉書には、松本市五〇聯隊留守隊、第
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