「知った家はないし、どうせ兵営の傍の木賃泊りだ」
「召集されて随分|悲惨《ひさん》な家もあるンでしょうね」
「ああ百姓《ひゃくしょう》なんか収穫時《しゅうかくどき》だ、実際困るだろう」
海水浴場案内のビラが、いまは寒気にビラビラしていて、駅の前を行く女達の薄着の裾《すそ》が帆《ほ》のようにふくれ上っていた。
拡声機は発車を知らせている。
「元気でいるンだよ」
長いホームを歩いている間中、与一は同じ事を何度も繰《く》り返した。私は、そんな優しい言葉をかけられると、妙に胸が詰った。で、いかにも間抜けた女らしく見せるべく、私は頬《ほ》っぺたをふくらまして微笑《ほほえ》んでみせた。頬《ほお》をふくらましていると、眼の内が痛い。私はじっと脣をつぼめて、与一が窓から覗くのを待った。
山へ行く汽車は煤《すす》けたままで、バタバタ瞼のように窓を開けた。窓が開くと、たくさんの見送りが、蟻のように窓に寄った。与一は網棚《あみだな》の上に帽子《ぼうし》と新聞包みを高く差し上げている。咽喉仏《のどぼとけ》が大きく尖《とが》って見えた。その逞《たくま》しい首を見ていると、耐えていた泪が鼻の裏にしみて、私
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