へ売りに行った。
「何ほどって?」
「六拾銭で買ってくれたよ」
「そう、朴君はあの靴に四ツも穴が明いているのを知っていたんでしょうか?」
「どうせ屋敷めぐりで、穴|埋《う》めさ、味噌汁《みそしる》吸って行けってたから呑《の》んで来た」
「美味《うま》かった?」
「ああとても美味かったよ……弐拾銭置いとくから、何か食べるといい」
私は今朝から弐拾銭を握《にぎ》ったまま呆んやり庭に立っていたのだ。松の梢では、初めて蝉《せみ》がしんしんと鳴き出したし、何もかもが眼に痛いような緑だ。
唾を呑み込もうとすると、舌の上が妙に熱っぽく荒れている。何か食べたい。――赤飯に支那蕎麦、大福餅《だいふくもち》にうどん、そんな拾銭で食べられそうなものを楽しみに空想して、私は二枚の拾銭白銅をチリンと耳もとで鳴らしてみた。
しんしんと蝉は鳴いている。
透《す》けた松の植込みの向うを裸馬《はだかうま》が何|匹《びき》も曳《ひ》かれて通る。
「良いお天気で……」
屑屋の朴が秤《はかり》でトントン首筋を叩きながら、枳の門の戸を蹴飛ばして這入って来た。
「朴さん、あの靴、穴が明いていたでしょうに……」
「よろし
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