ではない。私はかつて、与一の絵をそんなに上手《じょうず》だと思った事がない。それにひとつは私は、このように画面に小さく道を横に描くことはあんまり好きでないからかもしれない。「私は道のない絵が好きなんだけれど」そうも言ってみた事があるけれど、与一はむきになって、茶色の道を何本も塗りたくって、「君なんかに絵がわかってたまるもンか」と、与一はそう心の中で思っているのかも知れない。

     七

 山は静かにして性をやしない[#「山は静かにして性をやしない」に傍点]、水は動いて情を慰む[#「水は動いて情を慰む」に傍点]、静動二の間にして[#「静動二の間にして」に傍点]、住家を得る者あり[#「住家を得る者あり」に傍点]、私は芭蕉《ばしょう》の洒落堂《しゃれどう》の記と云う文章の中に、このようにいい言葉があると与一に聞いた事がある。
 そんなによい言葉を知っている与一が、収入の道と両立しない、法外もなく高い家賃で、馬かなんぞでも這入って来そうな、こんな安住の出来そうもない住家に満足している事が淋しかった。
 台所の流しの下には、根笹《ねざさ》や、山牛蒡《やまごぼう》のような蔓草《つるくさ》がは
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