拾七円だってかまうもンか、いい仕事がみつかればそんなにビクビクする事もないよ」
「だって、あなたはまだ私より他《ほか》に、女のひとと所帯を持った事がないからですよ。すぐ手も足も出なくなるだろうと私は思うのだけれど――」
「フフン、君はなかなか経験家だからね、だが、そんな事は云わンもンだよ」
与一との生活に、もっと私に青春があれば、きっと私は初々《ういうい》しい女になったのだろうけれど、いつも、野良犬《のらいぬ》のように食べる事に焦《あせ》る私である。また二階借りから、一|軒《けん》の所帯へと伸《の》びて行く、――それはまるで、果てしのない沙漠《さばく》へでも出発するかのように私をひどく不安がらせた。
四
風呂敷《ふろしき》の中から地獄壺を出して、与一の耳の辺で振《ふ》ってみせた事が大きいそぶり[#「そぶり」に傍点]であっただけに私は閉口してしまった。なぜならば、遠い旅の空で醤油飯しか食っていない、義父や母の事を考えると、私は古ハガキで、地獄壺の中をほじくり、銀貨と云う銀貨は、母への手紙の中へ札に替《か》えて送ってやっていたのである。いま、「割ってごらんよ」といわれると、中味が銅貨ばかりである事を知っている私は、何としても引込みがつかなく白状していった。
「割ってもいいのよ、だけれど……本当はもう銅貨ばかりになっていますよ」
「銅貨だって金だよ、少し重いから弐参拾銭《にさんじっせん》はあるだろう」
この男は、精神不感性ででもあるのかも知れない。風が吹《ふ》いたほどにも眼《め》の色を動かさないで、茶を呑《の》んでいた。
「金と云うものは溜《たま》らぬものさ、――ああとうとう雨だぜ、オイ、弱ったね」
私は元気よく、柱へ地獄壺を打ちつけた。
ひめくり[#「ひめくり」に傍点]は六月十五日だ。
大安で、結婚旅立ちにいい日とある。
午後から雷鳴《らいめい》が激《はげ》しく、雹《ひょう》のような雨さえ降って来た。
山国の産のせいであろう、まるで森林のように毛深い脚《あし》を出して、与一は忙《いそ》がしく荷造りを始めた。私はひどく楽しかった。男が力いっぱい荷造りをしている姿を見ると、いつも自分で行李《こうり》を締《し》めていた一人の時の味気《あじけ》なさが思い出されてきて、「とにかく二人で長くやって行きたい」とこんなところで、――妙《みょう》にあまく[#「あまく」に傍点]なってゆく。
私は塩たれたメリンスの帯の結びめに、庖丁《ほうちょう》や金火箸《かなひばし》や、大根|擂《す》り、露杓子《つゆじゃくし》のような、非遊離的《ひゆうりてき》な諸道具の一切《いっさい》を挟《はさ》んだ。また、私の懐《ふところ》の中には箸や手鏡や、五銭で二切の鮭《さけ》の切身なんぞが新聞紙に包まれてひそんでいる。
「そんなにゴタゴタしないで、風呂敷へでも包んでしまえよ」
「ええでもこうやって、馬穴《バケツ》をさげて行こうかと思っているのよ」
私達が初めて所帯を持った二階借りの家から、その引越し先の屋敷跡へは、道程から云うと、五丁ばかりもあったであろう。その僅《わず》か五丁もの道の間には、火葬場《かそうば》や大根畑や、墓や杉《すぎ》の森を突切《つっき》らない事には、大変な廻《まわ》り道になるので、私達は引越しの代を倹約《けんやく》するためにも、その近い道を通って僅かな荷物を一ツ一ツ運ぶ事にした。荷物と云っても、ビール箱《ばこ》で造った茶碗《ちゃわん》入れと腰《こし》の高いガタガタの卓子《テーブル》と、蒲団《ふとん》に風呂敷包みに、与一の絵の道具とこのような類《たぐい》であった。
蒲団はもちろん私のもので、これは別れた男達の時代にはなかったものである。浴衣《ゆかた》のつぎはぎで出来た蒲団ではあったが、――母はこの蒲団を送ってくれるについて枕《まくら》は一ツでよいかと聞いてよこした。私は母にだけは、三人目の男の履歴《りれき》について、少しばかり私の意見を述べて書き送ってあったので、母は「ほんにこの娘《むすめ》はまた、男さんが違《ちご》うてのう」そのように腹の中では悲しがっていたのであろうが、心を取りなおして気を利《き》かせてくれたのであろう、「枕は一ツでよいのか」と、書いてよこした。私は蒲団の中から出た母の手紙を見ると何ほどか恥ずかしい思いであった。上流の人達と云うものは、恥ずかしいと云う観念が薄いと云う事を聞いているけれど――母親であるゆえ、下《しも》ざまの者だから、なおさら恥ずかしいと思うまいと心がけても、枕の事は、今までに送ってもらっているとするならば、私はもう三ツ新しい枕を男のためにねだ[#「ねだ」に傍点]っている事になる。そう考えてゆくと、ジンとするほどな、悲しい恥ずかしさが湧《わ》いて来た。
そのころ、与一は木綿《もめん》の
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