勉強もおろそかになってしまって、三年四年となるにつれて、私はせいせき[#「せいせき」に傍点]が段々悪くなって、卒業する時は八十七分の八十六番位で出たと思う。国語も作文も図画も乙ばかりだった。
 その時の校長を佐藤正都知と云った。私の家族はその頃尾道の近在を行商してまわっていたので、学校から帰っても誰もいなかったし、家の前のうどんやで、毎晩、私は夕飯を食べるようになっていた。一ヶ月分の金があずけてあって、夕方になると私はそのうどん屋の細長い茶向台で御飯をたべた。ある夕方、私は御飯をたべてこのうどん屋から出かけると、ちょうど遅く学校から帰って来ていた校長に逢った。その翌日、学校から母へ呼び出し状が来たがこの忙がしいのにそれどころではない、面倒なことを云われたら止《や》めてしまえとそのままになった。私は学校中でもいけない部類の生徒になって、しまいには、何かが無くなっても私にかぶせられた。新らしい上草履《うわぞうり》を買ってはいていると、受持ちの図画の市河と云う教師に呼ばれて、その草履は誰それのものではないかと云われた。私は朝、自分でその草履を買ったばかりで名前を書くひまもなかったが、教室へ帰
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