ると、その時ばかりは学校へ火をつけてやりたかった。その草履については、母が、お前の身分としては竹の皮の表でよいと云うのを無理矢理八銭ほどはまらせて、畳表《たたみおもて》の麻裏を買ったもので、あとで、同組の生徒が告げ口したと云うことを聞き、その生徒の前で怒鳴《どな》ったことがあった。私は、仲のいい友達がひとりもなかった。川添と云う少女とは組が別れて、私は英語の多い級にいたのでめったに逢えなかった。
 私は一年生の時は百人の組《くらす》で十一番であったが、卒業する折は、満足に卒業出来るかと心配した位で、好きな学課は、地理と英語と国語と歴史と作文と図画であった。どれも乙ばかりで、三、四年の頃好きだった図画も乙ばかりだった。図画の宿題には、講談倶楽部か何かの口絵を描いて来る少女が一番いいせいせき[#「せいせき」に傍点]で、私のように静物や風景を写生してゆくのには、何時《いつ》も乙か丙をくれた。今考えだしても学校時代は何の愉《たの》しみもなかった。私は、あんまり女学校時代のことを書かないけれども、森先生以外にはなつかしいと思う先生がひとりもない。卒業も出来かねた私を卒業さしてくれたのは大井先生だ
前へ 次へ
全8ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
林 芙美子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング