女は犬のように満ちたりた眼をしている。
「今日はねえ、帰りにまた平井さんのところへ寄ったの、あなた夜番ッて職業厭かしら」
「夜番?」
「ええ夜番なのよ」
「夜番ッて?」
「とてもお金持ちのお邸《やしき》ですって、女ばかりなンで書生さんが欲しいンだとかで、平井さんが、三吉君どうだろうッて云うのよ。食べて三十円ッて、ちょっといいと思ったから……」
「二人で行けるのかい?」
「そこまで聞かなかったわ、……本当ねえ」
「何だ、それじゃアつまらないじゃないか、……俺は何だってするよ。もうこうなったら、机の前にタンザしている気持ちなンかないンだから」
彼女は口いっぱい飯を頬ばったまま引っこみのつかないような顔で、大粒な涙をこぼし始めた。実際、広い屋根屋根の下にはこうした人生の片言があっちにもこっちにもあるのだろう。
「そいで、三十円くれると云うのは本当の事なのかね?」
飯を頬ばっているので、彼女はコックリをしてみせる。
僕は字引を街で金に替《か》えて、平井の紹介状《しょうかいじょう》を懐《ふところ》に、その郊外の邸へ行ってみた。武者窓でもつけたら、侍《さむらい》が出て来そうな、古風な土塀《ど
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