ありすぎる。――朝眼覚めて口を洗い、ゴロリと横になって、人を焼く煙を眺《なが》めている僕のかたわらに、おぼつかない手付でもって縫いものをしている彼女がいる。髪の毛には網《あみ》のように白い埃が溜《たま》っていて、それを眼にした僕の口の中には、何か火の玉をくくんだように切ないものがあった。
 彼女はきっと「私、いい縫物屋を知っていますから頼《たの》んであげましょう」とでも云って、この着物の仕事を森本ちぬ子から取って来たのに違いない。
「ねえ、この間平井さんの奥《おく》さんに会ったら、早くちぬ子さんに着物を返した方がいいわ、縫物屋へ持って行くッて云って、菊さんは質屋へ置いてしまって、とても困ってるッて云いふらしてるのよ、なんて教えて下《くだ》すッたんだけど、まさか、こんな洗い※[#「日+麗」、第4水準2−14−21]《ざら》した着物五拾銭も借さないでしょうのに、私とても淋《さび》しくなってしまった」
 僕は沈黙《だま》っていた。彼女がその着物をちぬ子の家から持って来てもはや十日あまりにもなるのだが、一心になって毎日こつこつ縫っている彼女に向って、何を僕が咎《とが》めだてする事が出来るだろう
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