啓ちゃんバットを一つ買っていらっしゃい。解ってるでしょ?」
 と、いった。
 啓吉は銅貨を七ツ握って表へ出て行った。
 硝子戸を開けると、チンドン屋のおはら節が聴えて来る。
「啓吉! 後、きちんと閉めて行くのよッ[#「ッ」は底本では「ツ」]」
 啓吉は、もう路地を抜けて走っていた。
「仕様がないね」
 そう言って、貞子は、瀬戸火鉢の小さい火種をかきあつめたが、寛子が茶を淹れて来ると、
「あのね、また、お願いがあるンだけど……」
 と、躯《からだ》をもんで、その話を切り出した。
 寛子は、押入れの中から、子供の伸一郎の小さい布団を出すと、
「姉さんのまたか」
 といった顔つきで、寝ている礼子へそれを掛けてやった。

       四

 啓吉は賑やかな町へ来た事がうれしかった。路地を抜けると、食物の匂いのする商店が肩を擦り合うようにして並んでいる。豆レコードを売っている店では、始終唱歌が鳴っているし、赤や緑の広告ビラが何枚も貰えた。ピカピカした陳列箱が家ごとに並んでいて、頭でっかちで目の突き出た自分の小さい姿が写るのが恥ずかしかった。
 掌では七ツの銅貨が汗ばんでいる。これで硝子壺は買え
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