をしょぼしょぼさせて、
「じゃ、さよならするぜ。覚えてるかい? 覚えてたら、又遊びにおいでよ……」
といった。啓吉は吃驚したような顔をして隆山を見上げた。「遊びにお出でよ」と親切なことをいってくれたのは、大人でこの男が始めてであったから――。
「ああ」
啓吉は有難うをいいたかったのだが、何となくそれがいえないで走り出した。
花屋がある。コロッケ屋がある。啓吉はその路地へ片足でぴょんぴょん溝板を踏んで這入って行った。突き当りの二階の手摺《てすり》には、伸一郎を抱いて背を向けた勘三が、つくねんとしている。
「只今」
と格子を開けると呆れたような寛子が、
「まア、厭な子だねえ、人にさんざ心配させて……貴方! 啓ちゃん帰って来ましたよッ」
と、ほっとした容子で二階へ呶鳴った。
十一
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田の麦は足穂《たりほ》うなだれ
茨《いばら》には紅き果熟し
小河には木の葉みちたり
いかにおもうわかきおみなよ
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「ああいかにおもう、野崎澄子よ、か……」
勘三は、拾ったハンドバッグの中から、匂いのいいコンパクトを出して、鼻にあてながら
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